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心の連鎖 50


 何かに肩を押された。 フィリスはしゃんとした背骨を失ったように、スコットの胸に倒れこんだ。
 スコットは眼をつぶり、両腕の中の感触を心ゆくまで味わった。
「君は僕のもの。 そう思っても、かまわないんだね」
「ええ」
 もう気後れはなかった。 小声ながらはっきりと、フィリスは恋人の耳に答えた。
 すると、スコットはいきなり彼女を軽々と抱えあげた。
「じゃ、行こう!」
 えっ? フィリスがあっけにとられている内にも、スコットはどんどん歩き出して裏門を抜けた。
 百ヤード(=約九十メートル)ほど離れた所に馬車が置いてあった。 スコットがしっかり抱いて下ろさないので、とうとうフィリスは小さい叫び声を上げた。
「スコット! あんな遠くまで私を抱いたままで行くつもり?」
 ようやく足を止めると、スコットは笑い出した。
「離したくないんだ。 このままどこまでも行きたいんだよ」
「いくらあなたが逞しくなったからって、それは無理よ」
 腕からすべり降りると、フィリスはしっかりと指を彼の指にからめ、軽く膝を曲げて一礼した。
「それではご一緒に、旦那様」
 スコットの顔が太陽のように輝いた。 そして自分も胸に手を当てて首を垂れ、優しい囁きを返した。
「どこまでもお供します、奥方様」
 ふたりは小走りになって馬車まで急ぎ、素早く乗り込むと馬を出した。 すぐに軽快な蹄の音が響き、あっという間に遠ざかっていった。


「今度こそ駆け落ちしたか!」
 吐き捨てるようにつぶやいて、ロジャーは床に手紙を投げつけた。 ぐずるグレンの髪をといてやっていたトリシーは、会心の笑いを見せないように気をつけながら、さりげなくその手紙を拾って目を通した。
「リーズの教会で式を挙げて、あっちに新居を建てるんですって? 素敵ね」
「何が素敵なんだ!」
 ロジャーは吠えたけった。
「あの馬鹿者! うまく行かなくて泣いて帰ってきたって、家には入れてやらないぞ!」
「帰ってくるわけないわ」
 ふたりとも内心では百も承知していることを、トリシーはわざわざはっきり言葉にした。
「フィルはすごい頑張り屋さんよ。 石にかじりついても結婚を成功させるわ。 幸い、スコットという人は誠実の塊みたいな人間だし」
「五年も経ってから金を返したぐらいで誠実なもんか!」
「彼が取ったお金じゃないのよ。 それに五百ポンドは今でも大金だわ。 どんなに苦労して貯めたかを思うと」
「感傷的になるんじゃない!」
 まだロジャーは行きがかり上ぶつぶつ言っていたが、眼にはほっとした色を隠せなかった。
「……わたしは何もしてやるつもりはない。 だがもし君が祝いを贈りたいと言うんなら」
「送るんじゃなく、自分で持っていきたいわ」
「それは駄目だ!」
 ぴしゃりと言われてトリシーは少しがっかりしたものの、すぐ気を取り直してグレンを膝から下ろし、立ち上がってクローゼットの扉を開けた。 すると中には、繊細なレースをふんだんに使った見事なウェディングドレスが吊り下げられていた。
「それは君の……」
「ええ」
 惚れ惚れとフリルを撫でながら、トリシーは微笑んだ。
「幸せな花嫁の衣装は縁起が良くて、最高の贈り物よ。 私には残念ながら娘はいないから、次はトミーに着てもらおうかと思ったけど、もっと早く役に立ったわ」
 夫婦は寄り添って、なつかしい衣装に見入った。 やがてロジャーが咳払いして、ぎこちなく言った。
「ベイドリンの森の権利書をつけてやろう。 持参金のない花嫁は、肩身が狭いからな」
 トリシーは思わず夫に飛びついてキスした。 すかさずロジャーは妻を抱き寄せ、首に顔を埋めたが、それを見たグレンがとたんに泣き出した。
「やだ〜、ママを返して〜、バカ〜!」
 しぶしぶトリシーを離し、ロジャーは沸騰したヤカンのような溜め息をついた。
「やれやれ、息子が恋敵とはな!」


〔完〕



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