目次 表紙

line

黄金の日輪を越えて

line
プロローグ



むかし、心やさしい貴族がいました

夢のような恋をして

かわいい姫と結ばれました

でも現実はきびしい

雨もりのする城に住み

畑を耕す毎日です

それでもふたりは幸せ

金がない? ちょこっと我慢すればいい

薪がない? 抱き合っていればあたたかい

子供がいない? もらってくればいい!

ひとり、ふたり、さんにんの こども


第1章  美しいのはだれ?


 ヒュッと鋭く風を切って、ナイフが木の幹に突き刺さった。
 低い丘をゆっくりと登ってきた若者が、一瞬足を止め、小さく溜め息をついて、斜め上をにらんだ。
「エレ!」
「なに? 大丈夫だよ。 百発百中だから!」
 大きな樫の樹から銀の声が降りてきた。 金ではない。 きらきらと耳に痛い響きはない。 華やかだが、いぶし銀のような艶があって、どんなに張っても金切り声にはならなかった。
 声に続いて、本体が太い枝から飛び降りてきた。 白いシャツは葉にすれて緑のしみがつき、茶色の半ズボンにはかぎ裂きができて、布の切れ端が風に揺れている。 若者は、手にしていた鋤に寄りかかって首を振った。
「おまえなあ、いいかげんにしろよ。 もう十四だろうが。 世間じゃそろそろ嫁に行く話が出てもおかしくない年ごろなんだぞ」
「だーれが嫁に……もらってくれるもんか!」
 妙に自信をなくした答えに、若者の端正な顔が、ふと崩れた。
「おまえらしくないな。 いつもやる気満々なのに」
「やる気はある。 でも結婚は」
 小柄な姿が若者に寄り添って、並んで歩き出した。
「家と家、名前と名前がするものだから」
 横にいる汚れた顔を、若者はしばらく見つめていた。 それから静かに言った。
「おまえなら、乗り越えられる」
 上等な絵筆で描いたような弓形の眉をひそめて、汚れた顔が若者を見上げた。
「え?」
「おまえなら、どんな縁組でも望める」
 エレと呼ばれた男装の少女は、ぷっと吹き出した。
「私が? この、《ジロンの竜巻》が?」
「わざとやってるんだろう?」
 少女の瞳が揺れた。 夕暮れの湖を封じ込めたような青碧の瞳・・・・後にフランス国王の胸まで妖しく騒がせることになった瞳が、今はまだ無邪気に幼なじみを見つめていた。 前方に視線をやったまま、若者は言葉を続けた。
「わざと汚い格好をして暴れまわって。 顔に泥を擦りつけて」
 少女は息を吸い込んだ。
「しかたないよ…… 知ってるだろう? なぜそうしてるか」
「ああ。 だが、いつまでもそうはできない。 そろそろ作戦を変えないと」
 やりきれない表情で、少女は天を仰いだ。
「たしかにそうだよね。 わかってはいるんだけど」
 道はだらだらとした下りに差しかかっていた。 少女は気を取り直し、眼をいたずらっぽく輝かせて若者の前にぴょんと飛び出した。 道を塞がれて、若者はやむなく足を止めた。
「なんだ」
「兄さんこそそうじゃない」
「何が」
「わざと汚くしてるっていうの。 ちゃんと着飾ったら、ううん、ごく普通の服装でも、きちんと身なりを整えたら、ここからナントまでの間で、兄さんに叶う男前はいないよ!」
 ふっと自嘲の笑みが、若者の頬に張りついた。
「顔か…… ある意味当然だな。 愛人の子なんだから。 金持ち男は金にあかせて美女を漁る。 そして飽きると簡単に捨てる。 女も、子供も」
 地雷を踏んだことに気がついて、少女はあせった。
「それを言うなら私だって…… 」
「おまえはちがう」
 若者はきっぱりと遮った。 少女はかわいい口をとがらせた。
「どうして?」
「おまえはマルゴや俺とは立場がちがう。 俺たちは捨て子だ。 ただの脇腹なんだ。 だがおまえは…… 」
「はるかに悪いよ」
 初夏なのに、木枯らしのような声が返ってきた。 珍しくうつむいたまま、少女は吐き捨てるようにつぶやいた。 
「兄さんとマルゴは、生きていても誰の迷惑にもならない。 でも私は…… 」
「なりゃしないさ。 元王妃と息子たちはフランス中を逃げ回ってる。 オルレアン大公が権力を握れば、もうお前を脅かす影はなくなるんだ」
「オルレアン大公が失脚したら? もし、王子のどちらかが王位を継いだら?」
 若者の視線が泳いだ。
「そのときは……そのときだ。 俺は心配してない。 おまえの頭のよさと、度胸をよく知ってるから」
「度胸ね」
 少女がいこじな微笑を浮かべたので、片頬に笑くぼが寄った。 若者は彼女の頭を軽くぽんと叩いた。
「そうだ、度胸だ。 おまえは強い。 マルゴも、それに実のところこの俺も、おまえには頭が上がらない。
 頼りにしてるんだからな。 落ち込むなよ、チビ」
「チビって言うな」
 つんと可愛い鼻をそらして、少女は軽々と走り出し、義理の兄をあっという間に置き去りにした。 苦笑しながらその後ろ姿を見送っていた若者は、誰にも聞き取れないほど低い声でつぶやいた。
「そうだ、エレ。 おまえは輝く星の元に生まれたんだ。 光れ。 俺たちにはけっして叶わない、上の上まで登りつめるんだ!」



表紙 目次前頁次頁
背景:Kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved