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黄金の日輪を越えて

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第20章 本当の親は



 そこは大きな城の裏門だった。 男はエレを馬車から抱き下ろし、丁重に、だがしっかりと長い指でエレの手を握って、門をくぐった。
「申し訳ないが、ここからしばらく目隠しをしていただきます」
 そう言うと同時に、エレの視野がふさがり、頭の後ろで布をぎゅっと結んでいる音がした。 男に手を引かれるままに、エレはカビくさい通路を進んだ。 5分ほど歩いただろうか。 男は立ち止まり、目隠しを解いた。 目の前には壁がある。 ただの壁面に見えたが、男が押すと、内側に音もなく開いた。
「どうぞお入りください」
 エレが中に足を踏み入れるとすぐ、背後の隠しドアが閉まった。 中は意外にも普通の部屋だった。 大きなガラス窓があり、どっしりした机が置かれている。 その机に座って、茶色の髪の男が書き物をしていた。 エレを見ると、男は羽根ペンを横に置いて椅子から立ち上がった。 その顔を見たとたん、エレは思わず一歩引いてしまった。 なんと、ルイ新王だ! 国王は、一目でエレに好意を抱いたようだった。 にこにこしながら机を回って近づき、肩を抱くと、両頬にキスした。
「よく来てくれた。 皆が美人だ、美人だというから眉に唾をつけていたが、これはまことに絶世の美女だ。 妹なのが残念だよ」
 微笑を返しながら、エレは心の中で思った。 逞しい体格が示すとおり、この異父兄は女好きらしい、と。
 なんとなくフランソワに似た風貌なのに、エレは国王にすぐうちとけて、なごやかに話すことができた。 どんな話題をぶつけても、打てば響くように反応するエレに、王は感嘆した。
「これはいい。 田舎で穏やかに暮らしていたとは思えない。 どこでそれほどの知識を身につけた?」
「父母と兄がいろいろ教えてくれましたので」
 エレのほうに身をかがめると、ルイは内緒めかして言った。
「国を治めるにはまず家庭から、と言う。 間もなく婚礼だが、女性の心はよくわからないので、そなたに忠告してもらいたい。 これからよろしく頼むよ」
 賢い妹に、王はすっかりご満悦だった。
 別の扉から入ってきた侍従が、うやうやしく頭を下げて国王に言った。
「そろそろお出ましの時刻です」
 ルイは荒い鼻息をついて、差し出された剣を脇に下げた。
「公務だ。 それではエレーヌ、ごきげんよう。 婚礼のときにまた会おう」
 エレはほっとして、深く頭を下げた。
 王が去った後の扉から、すらりとした姿が入ってきた。 その顔を一目見たとたん、エレは反射的に叫んだ。
「ジル?」
 青く澄んだ眼が、そっと伏せられた。 深い声が言った。
「ジュリアン・ダートルミーと申します。 お見知りおきを」
 ラファエロの絵から抜け出してきたような典雅な顔と、まじりけのない豊かな金髪を、エレは穴があくほど見つめた。
「あなた……さっき私をさらった人ね」
 絹の服に着替えて見違えるようになっているが、声はたしかに、あのジプシー男のものだった。 一度大きく息を吸い込んで、エレは続けた。
「それにあなたは、マルゴのジュールなんだわ」
 青年の美しい顔に、ぱっと紅が散った。 だが、エレの言葉に対する反応はそれだけで、すぐ優雅に腰をかがめてドアを手で指し示した。
「こちらへどうぞ」
 仕方なく、エレはジュール青年と並んで再び歩き出した。 今度通された部屋には、黒い服をまとった中年の貴婦人が、侍女を二人従えて座っていた。 エレは、胸の高鳴りを押さえながら、ゆっくりとお辞儀した。 貴婦人の眼には、哀しげな光が宿っていた。
「もっとこっちへいらっしゃい」
 エレがゆっくり近づいて前に膝をつくと、アンヌ・ドートリッシュはエレの手を取り、思いに沈みながら撫でた。
「ジョゼから報告を受けていたわ。 17歳ね。 大きくなったこと」
「光栄です。 母后様にお目にかかれて」
 物心ついてから初めて実母の手に握られて、エレの指はかすかにふるえていた。 皇太后は侍女に合図して、銀の小箱を持ってこさせた。
「これを受け取って。 今日の思い出に」
「ありがとうございます」
 戸口に控えていたジュールが低い声で言った。
「そろそろご祈祷の時間です。 司祭様がお待ちですので」」
「わかりました」
 名残惜しそうにエレの手を離すと、アンヌ前王妃は立ち上がった。 侍女たちが後に続いた。 衣擦れの音が遠ざかっていくのを、エレは頭を垂れたまま聞いていた。
 気がつくと、隣にジュールが立って、手を添えて立ち上がらせてくれた。
「お疲れでしょう。 馬車でお送りします」
 今度は堂々と城の廊下を歩きながら、エレは自分の身が危なかったことを思い知っていた。 城に入るときは秘密の通路だった。 つまり、少しでも国王に疑念を抱かせたら、そのまま幽閉されるはずだったのだ。 静かに脇を歩く青年の無表情な顔を、エレは横目で眺めた。
「あなたはいったい何者?」
 1拍間を置いて、ジュールは答えた。
「マザラン様にお仕えする者です」
 父上に…… ようやく納得が行って、エレは前に向き直った。
 エレは17年前、南部の小さな城で密かに生を受けた。 王妃アンヌ・ドートリッシュの末娘として。 しかし、夫のルイ13世は、エレの生まれる1年以上前にこの世を去っていた。
 それ以前から、アンヌの息子たちは中傷にさらされていた。 婚礼から16年も経ってようやく生まれた王太子を、世間の人は、前の枢機卿リシュリューか、又はその後継者のマザランとの間にできた不倫の子だろうと陰口を叩いた。 それでも二人の王子が生まれたときは、ルイ13世がまだ生きていたからよかったのだが、エレの場合は言い訳のしようがない。 したがって、エレの存在は、ブルボン王家にとって、踏めば吹っ飛ぶ地雷のようなものだった。つまり、エレという生きた証拠があるかぎり、ルイと弟のフィリップ・ダンジューの父親も本当にルイ13世なのかと、疑いをかけることができるのだ。 幸い、兄のルイ14世は冷酷な人柄ではないようだった。 一思いにエレを始末してしまおうとは思わず、受け入れてくれるらしい。 ほっとしたような、複雑な気持ちで、エレが歩を進めていると、速度を合わせて横を歩いていたジュールが、短いヴェールを脇のポケットから出して、エレに渡した。
「これをかけて下さい。 わたしの恋人のように見せかけますので」
 エレはうなずき、すぐに灰色のヴェールをかぶった。 二人が寄り添って広間横の階段を下りると、庭をぶらついていた貴族がすかさず声をかけた。
「ロメーヌ伯! この時間からもう逢引ですか!」
 ジュールは涼しい眼を向けて答えた。
「何事も早いほうがいいと申しますから」
 貴族はからからと笑って、道を空けた。



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