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黄金の日輪を越えて

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第21章 暗転



「エレは?」
 物売りから花を買っていたフィリップが振り向いた。
「え?」
「エレがいない!」
 知らない街角、たくさんの人垣だ。 道に迷ったら何が起こるかわからない。 マルゴは青ざめ、必死で背伸びして周囲を探した。 その手に野菊の小さな花束が置かれた。
「今度はあっちの通りへ行こう。 しゃれたサロンがあるの見つけといたんだ」
「フィリップ! エレがいないのよ。 心配じゃないの?」
「う、うん、まあ……」
 フィリップは言葉を濁した。
「すぐ戻ってくると思うよ。 招かれたんだ。 あるところに」
「どういうこと?」
「詳しく聞かないほうがいい。 きっと大丈夫だから」
「きっと?」
 マルゴの胸が不安に揺れた。
「それって、もしかすると……」
「だから、考えるなって」
 押し被せるように言って、フィリップはマルゴの背を押した。

 小ぎれいなサロンでは、最近流行し出したココアを飲むことができた。 お祭り騒ぎがよく見えるように、フィリップが二階の個室を取ってくれたので、マルゴはくつろいで窓際の椅子に腰かけ、濃い泥色の液体を、そっとすすった。
「甘い!」
「不思議な味だろう? アラビアから渡ってきたんだ。 慣れるとやみつきになるよ」
 ここにエレがいたらもっと楽しいのに、とマルゴは思った。 二人はくつろいで、半時間ほどよもやま話をしていたが、そのうち、向かい合って座っていたフィリップが、中腰になって外を見下ろした。
「お、クレマンの奴がいる。 手を振ってるよ。 ちょっと挨拶してくる」
 マルゴはうなずいた。 フィリップが降りていってから少しして、廊下から声が伝わってきた。 くすくすという含み笑いと、キスの音。 どうやらこの二階は、男女の密会の場所としても使われているらしかった。 足音がもつれ合って階段を下りていったあと、今度はひとりの足音が上ってきた。 フィリップが戻ってきたのだろうかと思っていると、不意にドアが開いて、若い貴族が入ってきた。 知らない顔だった。 マルゴは驚いて立ち上がった。 するとその貴族は、あけっぴろげな微笑を浮かべて近づいてきた。
「サン・シール嬢と待ち合わせしていたのだが、どうもちがうようだな」
「隣の部屋ではないでしょうか」
 固くなって、マルゴは上ずった声で答えた。 しかし、貴族は去ろうとせず、逆に前に進んできた。 マルゴはじりじりと後退して、窓を背にした。
「うっとりするような眼をしているな。 かわいい娘だ」
「おたわむれを」
 横をすり抜けて戸口から逃げ出せるか・・・マルゴは素早く距離を目で測り、壁を伝って大回りして、どうにか戸口近くまでたどりついた。 そのとき、不意に男が手を出してきた。 顔に触れようとしたらしいが、あまりに急な動きだったので、マルゴは稲妻のように反応した。
「つっ」
 貴族は反射的に手を引っ込めたが、遅かった。押さえた手首から、血がすうっと一筋流れた。 ちょうどそのとき、フィリップが入ってきて叫んだ。
「どうした、マルゴ!」
 振り返った貴族の顔を一目見た瞬間、フィリップは蒼白になって立ち止まった。
「陛下!」
 陛下……?!! マルゴの手から、薄刃の短刀がこぼれ落ちた。 知らぬとはいえ、国王に切りつけてしまった。 反逆罪だ! とっさにマルゴはフィリップを突き飛ばし、転がるように階段を駆け下りて、夕暮れ近い街に消えていった。
 ジュールは馬車で、エレを僧院まで送り届けた。 降りるとき、エレはジュールを誘ってみた。
「もうマルゴは帰ってきているかもしれないから、寄っていきません?」
 ちょっとためらってから、ジュールは首を振った。
「まだ仕事がありますので」
「忙しいのね」
 ジュールはちょっと微笑み、御者に合図して去っていった。 門を入りながら、エレは考えていた。
――フィリップのやつ、計画を知っていたにちがいない。 街を見せると言って連れ出す役をしていたんだ――
「まあ、マルゴに街見物をさせてあげたんだから、いいとするか」
 長い間恐れていた肉親との対面がうまくいったので、エレはほっとして、歌でも歌いたい気分だった。 軽い足取りで部屋に入ったエレは、侍女の一人から手紙を渡されて、少し驚いた。
「私に? ここにいることは、父様には知らせてないのに」
「お父上ではありません。 マルグリット様からです」
 あっけに取られて、エレは侍女のクリスティーヌを凝視した。
「なんでマルゴが私に手紙を?」
「読んでいたたけばわかると」
 あわてて紙を広げて、エレは、たった3行、乱れた字でしたためてある文を読んだ。
『国王陛下に短剣を向けてしまいました。 身を隠すしかありません。 迷惑をかけたくないので、どうか探さないで下さい。       永遠にあなたの友 マルゴ』
「くそ! あの、あの女たらし!」
 天を仰いで、エレは絶叫した。 マルゴが短剣を抜くのは1つの場合しかない。
(何が公務だ。 国王め、きっと女あさりに出かけたんだ!・・・・)



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