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黄金の日輪を越えて

第22章 華燭の典
家中から色がなくなったような三日間が過ぎた。
エレはフィリップを呼びつけて詳しい事情を聞き、怒鳴ってみたが、結局彼が悪いわけではないのはわかっていた。 国王は国一番の権力者だ。 女に目をつければ、いついかなる状況でも我が物にしようとするだろう。 探すなと言われても、マルゴはエレにとって分身のようなもので、なくてはならない存在だった。 なんとしても見つけ出したいが、手段がない。 悩みぬいたあげく、エレはフランソワに助けを求めることにしたが、広い屋敷のどこにいるのか、またはいないのか、さえわからなかった。 ふと思い出したのは、フランソワの馬好きだった。 厩で待っていれば、いつか来る。 エレは暇さえあれば厩に通い、3日目で、とうとう彼を捕まえることに成功した。 腹心の部下のデュパンを従えて厩に入ってきたフランソワは、小柄な姿がすっと立ちふさがったので、ぎくっとして足を止めた。
「なんだ」
無愛想な口調に、エレはひるまなかった。
「お願いがあるの」
「わたしに? 君が?」
「そうよ」
両手を固く握り合わせながら、エリは言った。
「マルゴがいなくなったの」
とたんにフランソワの眼が鋭く変わった。
「なんだって?」
「これを読んで」
置手紙を渡されたフランソワは、ちらっと見た後、デュパンに渡した。 あれ、ほんとに字が読めないんだ・・・エレは、話の進め方を失敗したと後悔した。 フランソワに恥をかかせてどうするのだ。 デュパンは低い声で読み上げた。
「こくおうさまに、たんけんをむいてしまいました。 みを…ええと、かーくすしかありません。 ごめいわくなければ、さがさないでください」
なんていいかげんな読み方だ、とエレはあきれたが、意味は通じたらしい。 たちまちフランソワの顔が鬼のようになった。
「マルゴがなんで剣を抜くんだ!」
「襲われそうになったのよ」
「あの甘やかされたバカ従兄め、美人と見ると見境がなくなるんだな。 どこでマルゴに目をつけたんだ」
じろっとエレをにらむと、フランソワは尋ねた。
「いついなくなった」
「三日前」
「もっと早く言いに来い!」
「どこにいるかわからなかったの!」
「畜生!」
国王かエレか、またはその両方をののしりながら、フランソワは素早く決断した。
「デュパン、部下を4人用意しろ。 替え馬を連れて、一人は東、一人は西、二人は南に行け。 エジプト人のような顔立ちの、背の高い美人を探すんだ!」
「わかりました」
デュパンは素早く出て行った。 エレは、人数の振り分け方がよくわからなかったので、尋ねてみた。
「なぜ北には行かないの?」
フランソワは即座に答えた。
「マルゴは寒さに弱いし、北に知り合いはいないからだ。 迷惑をかけたくないらしいから、西にある故郷には戻らないと思うが、他の知り合いを頼るかもしれないから、そっちに一人。 東には大都会のパリがあり、姿を隠しやすいから、そっちにも一人。 南は広いし、トゥールーズには友だちがいるから二人だ」
とっさによく思いつくものだ・・・・エレは夫の頭脳を見直した。 字が読めなくでも、この人はバカじゃない。
2日後に、マルゴが逃げた方角がわかった。 東への道をたどっていた。 だが、パリの城門を入ったところで、消息はぷつりと途切れた。
国王の婚礼は、ガストン・ドルレアン公の城で、とどこおりなく行なわれた。 披露宴の席で、エレは仏頂面のフランソワと並んで、人々の注目を集めていた。
招かれた貴族たちは、ここをせんどと蜜のような祝辞を述べて席についていく。 エレは、ひやひやしながらフランソワを横目で眺めた。 彼はマルゴのことでつむじを曲げている。 きっと何かやらかすにちがいない。 悪い予感は当たった。 フランソワは威風堂々と王の前に進み出た。 そして、形ばかりの礼をした後で、大声で言ってのけた。
「フランス・スペイン両国の縁組、まことにめでたいことと存じます。 うるわしい王妃様のご多幸をお祈りします。 末永く国王の愛が続きますように。 決して野の花を積みにさまよい出たりなさらぬように」
具合の悪い沈黙が支配した。 国王の顔がさっと赤らんだ。 エレはかっとなって、スカートに隠れてフランソワの足をぎゅっと踏みつけた。 彼が思わず顔をしかめたとき、聞き覚えのある柔らかい声が響いた。
「高貴な王妃様、そして王の中の王ルイ14世陛下に、ご成婚を祝して歌を捧げたいのですが、お許しいただけますか?」
王の額の雲が、すっと晴れた。 並みいる貴族たちがざわめき、うれしそうにささやきあった。
「これは珍しい。 彼が自分から歌うと言い出すとは」
「久しぶりに耳にできますね、幻の声》を」
エレが首を回すと、《幻の声》とは、ジュリアン・ダートルミーその人だった。 ジュールは、しなやかな手にリュートを持って、静かに歌い出した。 ビロードのような声が大広間に響き渡り、瞬く間に人々を魅了した。 上手だ。 まるで目の前に天国が開けて、長い衣をまとった春の精が舞い踊っているようだ。 エレはうっとりと聞き入った。 スベインから輿入れしたきゃしゃな王女も同じ思いらしく、歌が終わっても少しの間ぼうっとしていて、やがて驚いたように体を動かした。
国王はすっかりご機嫌になって、フランソワの皮肉を忘れてしまった。 ほっと胸を撫で下ろしたエレは、窮地を救ってくれた青年に礼を言いたくなって、リュートを片づけているジュールにそっと近づいた。
「見事な声ね」
ジュールは控えめに答えた。
「ありがとうございます」
なおもエレが言葉を続けようとしたとき、国王夫妻を見送るために通路の両側に出来た列が、押し合いへし合いしたために崩れて、エレのほうにあふれてきた。 あっと思った瞬間、ジュールの腕が小さな体を抱え、しっかりと壁に押し付けて庇ってくれた。 瞼や額に、やわらかな金髪が触れた。 ふんわりといい匂いがする。 まったくこの人は、天上の住人としか思えないな、とエレは感嘆した。 たいていの男は(たぶん女も)これほど間近に見るとアラが目立つものだが、ジュールの肌はすべすべしてソバカス1つなく、陶器のようになめらかだった。
次第に人の列は立ち直り、少し空きができてきた。 ジュールはすぐに礼儀正しくエレから体を離した。 そこへ、せわしなく人ごみを掻き分けて、フィリップが進んできた。
「やあ、エレ! ここにいたのか。 大丈夫だったかい?」
ハンカチで汗を拭きながら、フィリップは文句を言った。
「また消えちまったのか、君のバカ亭主は? 肝心なときはいつもいないんだからな」
金色の頭が、さっと振り向いた。
「フィリップ!」
名前を呼ばれて上げたフィリップの顔が、急に強張った。
「ジュリアン……」
エレは、おや、と思った。 ジュールの眼がきらきらと輝いている。 落ち着きすぎるほど落ち着いている彼が、初めて同年代の若者に見えた。 だが、フィリップの方は、この出会いに明らかに当惑していた。 彼はあせった様子でジュールから視線を外すと、エレに、
「また後で会おう」
と言うなり、すたすたと歩き出した。
「フィリップ! 待ってくれ!」
フィリップは、大広間の端でジュールに捕まった。 交わされた会話は、ほんの二言三言だった。 しかし、エレは忘れられないものを見た。 ジュールの問いに対してフィリップが投げ捨てるように何かを答えて去った後、ジュールが、ぐらりとよろめいて柱に額を押しつけるのを。 エレが目を離せずにいると、ジュールはやがて顔を上げた。 その顔を見て、エレは思わず口に手を当てた。 死人のような顔色、とよく詩などで言うが、まさにその形容がぴったりだったのだ。 エレに見られていることに気づくと、ジュールは柱から手を離して歩き出した。 しかし、足元の乱れは隠せなかった。 わずか数分の間に、ジュールは、最大の特徴だった湖水のような落ち着きを失ってしまっていた。
この奇妙な出会いの意味は、結局わからなかった。 その晩フィリップは会いに来なかったし、すぐにコンデ一族がパリの館に戻ることになったので、うやむやのまま終わってしまった。
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