堀田宏章〔ほった ひろあき〕は、まじまじと小柄な人気歌手を見つめた。
「アレンジ? 僕が?」
「そんな声出すことないじゃない。 今そこでやってたことを楽譜に起こすだけでいいんだから」
ユラはちょっとあきれたように答えた。
堀田はどう考えたらいいかわからない様子で、ピアノの蓋をせわしなく指で撫でた。
「それでもし僕がやったとして、何に使うんですか? ていうか、使えるんですか?」
「ライブに使わせてもらうわ。 ついでに伴奏もしてくれるかな」
「ええっ?」
今度こそ堀田は奇声を張り上げた。
「ぼ、僕が?」
「僕が、って何回言ったか覚えてる?」
ユラはピアノに両肘をつき、手のひらに顎を載せて、いたずらっぽい目つきで堀田を見上げた。
左のテーブルでは、シャネルとフェンディが目くばせをし合っていた。
「まただ」
「何人目?」
「三人目、かな」
「ユラのナンパは有名だからね」
「男にじゃなくて才能に惚れこむのよ」
晴佳が淡々とした口調で言った。 シャネルは負けずに言い返した。
「そのうちの一人と結婚したじゃない」
「そして勘違いに気付いて二ヶ月で別れた」
「その話はタブーなんだから、口にしちゃだめよ」
オフホワイト・スーツが被せるように注意した。 晴佳はすぐ料理に戻ったが、シャネルはまだ不満そうにぐずぐず言っていた。
「離婚すると、なんか度胸がつくっていうか、大胆よね。 私たちにはあんなふうに誘ったりできないよね」
うなずいたのはフェンディだけで、後の二人は知らん顔をしていた。
マロンを食べ終わったマオは、化粧直しに行くために立ち上がった。 ピアノのそばではまだユラと堀田青年が立ち話をしていた。 声が低くなっているので何を話し合っているかよく聞こえないが、どうも押し問答している雰囲気だった。
さりげなくマオが横を通り過ぎて廊下に出たのを見て、シャネルがそそくさと立ち上がり、フェンディの肩に触れた。
「行こう」
ロゼをを飲みかけていたフェンディは驚いて目を上げた。
「え?」
「いいから。 さっさと飲んで」
グラスを急いで空けると、フェンディは引っ張られるように連れていかれてしまった。 シャネルが急いで向かったのは、マオと同じ廊下だった。
ゆっくりと、晴佳はナプキンを置いた。 そして、小さく溜め息をつくと、食後のコーヒーに軽く口をつけて、バッグを手に取った。
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