「家はどこ?」
「足立区。 マンションの七階」
「足立区?」
田坂はちょっと驚いた。 たまたま彼もそこに住んでいるのだ。
「足立区のどの辺?」
「梅島」
「僕は五反野」
「近くだ」
「そうだね」
晴佳の視線が動いて、田坂の顎に届いた。
「あ、割れてる」
「何が?」
話の流れから外れた思わぬ言葉に、田坂は狼狽して窓ガラスを見回した。
晴佳はぶんぶんと大きく首を振った。
「ガラスじゃない。 顎。 なんて言うんだっけ……そうだ、ケツ割れ」
上品な口から出てきた意外な形容が、田坂を妙なふうに刺激してしまった。 彼が噴き出すのを見て、晴佳もにんまりと微笑した。
「やった! 笑い顔がどんなか興味あったんだ。 大学の裏庭にあった創立者の像みたいな顔してるんだもの」
「仕事柄ちょうどいいんだ」
「へえ」
晴佳は面白がった。
「何の仕事? 助教授?」
「弁護士」
晴佳の表情が改まった。 笑顔を取り戻そうとしたが、口の端が緊張の色を見せているのを、田坂は鋭く読み取った。
「へえ、そうなの。 民事? それとも刑事?」
「詳しいんだね」
「それぐらい知ってるわ。 ね、どっち?」
「今のところは契約関係が主。 バッジつけ出してまだ5年とちょっとだから」
「じゃ民事なんだ」
「そう」
「コネつけとこう。 いつかお世話になるかもしれない」
「君が?」
「ええ」
考え込みながら、晴佳は静かに続けた。
「わからないでしょう? 先に何が待ってるか」
車庫を出て、誰もいない静かな道に車を回すと、フロントガラスをきらめかせながら銀色の粒が流れた。
「雨」
晴佳がつぶやいた。
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