マオは途方に暮れていた。
新宿のフォト・スタジオへ行くために、出先の国分寺駅から中央線に乗ったのだが、荻窪の手前で人身事故が起こり、途中で止められてしまったのだ。
「また?」
「三十分はかかるよ、後始末」
「なんかさ、あんまり続くからこの前お祓いしてもらったんだってよ。 でも効き目なかったみたいね」
色とりどりのアクセをつけまくった若い娘たちが、顔をしかめて話し合っていた。 周囲はあちこちで携帯電話を出し、メールしたり直に連絡を取ったりしている。 平日の午後でも仕事で動いている人間が多いらしく、疲れた気ぜわしい表情が目立った。
マオは両手を握りしめて少し考えた。 前の仕事が押したので余裕がなく、ぎりぎり間に合うタイミングで電車に乗ったのだ。 メーキャップ係がいないからグラビアの撮影を半時間も遅らせたというのでは洒落にならない。
白金の美容室の仲間に頼もうか。 でもあそこからだと車を飛ばしても四十分はかかるだろう。 自分で行くのと大差ない。
「そうだ、運がよければ!」
マオの眼がきらっと輝いた。 他でもない、その新宿に、ついこの間ヨウちゃんが自分の店を出したのだ。 引っ張りだこの売れっ子で、ライリー丘の後継者と目されているヨウちゃんだが、今のところ他の仕事をセーブして店を盛りたてようと通っているらしい。 だからもしかすると……藁を掴む思いで、マオはボタンを押した。
「ヨウさん?」
陽気な声がすぐに返ってきた。
「よっ、マオちゃん。 どした?」
「事故で電車が止まったの。 DスタジオのERIKAさんの仕事に間に合わない!」
ヨウちゃんはすぐに真面目な調子になった。
「行ってやる」
「ほんと?」
思わず声が高くなった。 横の中年男性にジロッと見られて、マオはあわてて電話にかがみこみ、声量を落とした。
「悪い! きっと埋め合わせするから」
「Dスタジオ、ERIKAね。 そっちから連絡取っといて」
「ありがとう」
切る指ももどかしく、マオはスタジオの番号を探し始めた。
北原洋市(=ヨウちゃん)がメイク道具を持ってスタジオ入りすると、中からERIKAのマネージャーが急いで出てきた。
「ありがとうございます! 北原さんにやっていただけるなんて」
「いえ、僕はあくまでもマオの代役ですから」
ヨウちゃんが控えめに答えると、マネージャーは大げさに首を振った。
「ほんとに感謝してます。 あ、彼女第三メイク室にいますので、先に行っててもらえますか?」
「いいですよ」
軽く請合って、ヨウちゃんはメイク室に向かった。 このスタジオはいろんな機能が複合していて二度建て増しされており、通路が複雑に入り組んでいる。 ヨウちゃんは何度か来たことがあるから、ろくに部屋番号を見ずにすいすい進んでいた。
左の角から若い男が曲がってきた。 頼りなげな表情なので、これは道を訊かれるな、とヨウちゃんが覚悟していると、案の定、彼は口ごもりながら話しかけてきた。
「あのう」
「はい?」
ヨウちゃんがライリー譲りの明るい調子で応えたので、青年は安心した様子で尋ねた。
「第四音楽スタジオってどこでしょう? 案内図を見てもよくわからなくて」
「あの案内図はガセ」
ばっさり切り捨てて、ヨウちゃんは一から教え出した。
「ちょっと戻って、君がさっき出てきた角をまっすぐ行って、左側二番目のドア」
慎重な性格らしく、青年は小声で復唱した。
「あの角をまっすぐ、左側二番目」
「そう」
「あ、すいません。 ありがとうございました!」
彼はにっこり微笑んで会釈した。 はれ、いい男じゃん、と一瞬思ってしまったヨウちゃんは、あわてて青年の姿をこれ以上見ないように回れ右して、少し待つことにした。
「ヒロさん(=ライリーの名前)に殺されちゃうよ。 ちょっとでも他の男に目向けたりしたら。 用心用心」
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