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あおのロンド 24


 今日の依頼は夫の事務所であるハルバートからのものだった。 年末の舞台用のポスターをそろそろ発注するので、主役二人の顔とヘアスタイルをできるだけ印象的に作るように頼まれていた。
 いつものようにボックスを開いて念入りに道具を確認した後、マオはきちんと戸締まりを済ませ、ライリーのマンションを出た。
 久しぶりに顔を合わせるのが怖かった。 家を出てから一度も電話してないし、相手からもかかってこない。 本当に見捨てられてしまったら、と思うと、真っ暗な闇に取り巻かれたような不安と哀しみが心を覆った。
 その哀しみには怒りも混じっていた。 あんなに怒るのは相当な原因があるはずだ。 でもマオにはまったく思いつかなかった。 テレパシーなんてないんだから、説明してくれなきゃ直しようがない! 電車を二つ乗り継いで世田谷のスタジオに行く途中も、マオはずっとふさぎ込んでいた。

 だが、気まずい対面は実現しなかった。 驚いたことに、この種の撮影には必ず同席する結城は来ず、代理で福地という社員がてんてこ舞いしていた。
「ええと、佐伯さんはまだ? ああ、あと十分ぐらいで着く。 わかった。 それで」
 そこでマオに挨拶されて、福地は飛び上がった。
「わっ! あれ? マオさん」
 意外そうな口調に、マオはいささかむっとなった。
「来ないと思ったんですか?」
「い、いや、あの」
 しどろもどろになって、福地は助けを求めるように機材の背後を見やった。
「予定が変更になったって副社長が。 だからヨネさんを呼んだんだけど」
 米原〔よねはら〕みつるはマオより三歳年上のメーキャップ・アーティストで、主に映画畑で活躍していた。
 知らない間に仕事をキャンセルされていたことを知って、マオは遂に堪忍袋の緒を切った。 しかし怒りを爆発させるタイプではないので、いくらか青ざめたものの冷静な口調で、福地に言った。
「変更の話は全然知りませんでした。 じゃもうここで仕事はないんですね?」
 福地はたじたじとなった。
「ええと、副社長に電話してみます?」
 ふたりが別居状態なのを知らないらしい。 マオは邪魔にならないように隅へ行って、携帯電話を取り出した。 しかし、もう直接かけることはしなかった。 ボタンを押すのに慣れた指が、神業のような速さで文字を綴っていった。
『マオです。
 かけても出ないからメールを送ります。
怒るわけを説明してください。 今夜の0時までに電話かメールをくれなければ、もう家には戻りません』
 ポンと送信して器械をバッグに放り込むと、マオは憤然とスタジオを出ていった。


 同じ日の午後三時過ぎ、ユラは晴佳と連れ立って日比谷を歩いていた。
「それでさ、ちっちゃいころは四谷の駅を電車が通り過ぎるとき、こわかったわけよ。 お岩さんがあそこに住んでるって信じてたから」
「じゃ、降りたことなかったんだ」
 ユラは大げさに両手を振った。
「ないない! 私怖がりだもん。 今でも。 晴佳はいいよね。 度胸がいいから」
「病院の子なのよ。 幽霊怖がってたら身が持たない。 お寺の子と同じ」
「そうか」
 横道の前で止まって左右を確認しながら、ユラはなにげなく尋ねた。
「お兄さん元気? 最近全然会わないけど」
「元気よ」
 晴佳はものうげに答えた。
「彼シスコンだよね。 すっごく晴佳と朱里〔あかり〕に優しいじゃん? 昔からうらやましかったな」
 晴佳は答えず、不意に道を突っ切っていった。 まるで周囲を見ないので、赤い小型車の鼻先をすり抜ける形になって、激しくクラクションを鳴らされた。
 肝を潰して、ユラは情けない声を出した。
「やめてよー。 いつか死ぬよ?」


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