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あおのロンド 33


 結城誠也が不意に現れたことで、ホテルでの夕食はいっそう華やいだ。 結城夫妻が珍しく仲違いしていたことを、ほとんどのスタッフは知らなかった。 だから少し早めのテーブルに結城がアイスブルーのシャツ姿で現れたとき、愛妻と二日も離れていられなくて駆けつけてきたのだと思った。
「おや、連れ戻しに来ても無駄ですよ。 契約はあと三日残ってるんだから」
 サブディレクターが冗談交じりに冷やかすと、すっかり顔の線が柔らかくなった結城はほんの少し口元をゆるめた。
「いや。 俺のほうがスケジュール空けて来たんです。 遅くなったけど、新婚旅行の代わりに」
 ブリオッシュの皿を満足そうに眺めていた霧橋が、ちょっと皮肉な目で結城をねめつけた。
「よかったでございますね。 うんとサービスするんですぞ」
「はい、奥方様」
 今日はまったく照れずに顔を輝かせているマオの肩に腕を回しながら、真面目な口調で、結城は答えた。


 パーティー会場は、銀と黒の大胆な配色だった。 ヨットの帆に見立てて飾られた造花までが銀色で、シックなのにどこか宇宙空間を思わせた。
 変型のディナージャケットを着た葉山市郎は、『Ms.Motomiya』と記した二つ折りのカードが真ん中に立ったテーブルを田坂が眺めているので、招待主はその席の娘だと知った。
「へえ、意外だな。 あんな凄みのある美人と仲良しだったのか」
「別に仲良しじゃないよ」
 クリーム色のケープドレスをひるがえして、今ちょうど椅子に座ろうとしている晴佳からなかなか目を離せずに、田坂は上の空で答えた。
 少し後からぶらっとやってきた麓郎〔ろくろう〕は、田坂の視線をたどってその一等席のテーブルにたどりつき、数秒間じっと眼を据えていた。
 それから、いきなり田坂に言った。
「挨拶に行かないの?」
 田坂は面食らった。
「そんなに親しいわけじゃないんだ。 余った券をたまたまくれただけで」
「わざわざサインしてるのに? 知らん顔は失礼だよ。 さ、行こう」
 麓郎がこんなに積極的なのは珍しかった。 あれよあれよという間に、田坂は兄弟に押し出されるようにして晴佳のいるテーブルに向かっていた。
 記憶にあるかどうかさえ怪しいのに――田坂はたじろいでいた。 だが、表情に心が出ないタイプなので、傍目からはまったく動じないように見えた。
 三人の一団が近づいてくると、晴佳はそれまで話していた隣席の若い女性から視線を離し、まっすぐ田坂に向けた。 そして、彼が口を切る前に声をかけてきた。
「こんばんは。 そこに座ってね。 空いてるから」
 それは楕円形の優雅なテーブルで、晴佳たちの真ん前にあたる席だった。
 本当は震え出しそうな声帯をなんとかなだめて、田坂は無機質な、事務的にさえ聞こえる返事をした。
「ありがとう。 ところで僕はこういう……」
 堅苦しく名刺を取り出した田坂を遮るように、晴佳はやんわりと言った。
「聞いた。 田坂敦史〔たさか あつし〕さん、でしょ?」


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