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あおのロンド 36


 麓郎がなお話しつづけようとしたとき、晴佳が横から体を割り込ませるようにして声をかけた。
「もうそろそろお開きにしない? 私疲れちゃった」
「ええ、そうね」
 朱里〔あかり〕はすぐに答えたが、立ち上がろうとはしなかった。 それで晴佳は麓郎の方に向き直ると、前に田坂を驚かせた単刀直入な物言いで提案した。
「話の続きは一週間後に。 つまり水曜か木曜。 どう?」
 麓郎は別に驚かなかった。 自分の魅力に自信を持っているようだった。
「いいですね。 どこにします?」
 後半は朱里への問いかけだった。 朱里はちらっと姉の顔を見て、ゆっくりと答えた。
「うちは鎌倉なの。 来てもらえますか?」
「喜んで」
 麓郎はやさしく言った。


 疲れたと言い出しておきながら、結局晴佳たちは、田坂と葉山兄弟が会場を去るまで席を立たず、通りすがりの人々と話を交わしていた。 体よく追い払われたような気がして、田坂は気持ちが沈んできた。
 帰りの車は静かだった。 葉山市郎は運転しながら前を向いたっきりで、眉を寄せて考えごとをしていた。 その横に座る麓郎は、果敢なアタックに成功した割には無表情で、座席に深く体を埋めて眼をつぶっていた。 電話番号を交換してたな、俺も晴佳さんのを知りたかったな、と、田坂がうらやんでいることなど、まったく知らぬげに。
 後ろの席でただ一人、田坂は落ち着かない気分でその夜起きたことを順を追って記憶によみがえらせていた。 不意に踊りに誘い、唐突に踊り止めた晴佳。 彼女のすることはいつも謎だったが、今夜は特に心が他へ飛んでいる雰囲気があった。
 それでもダンスするまでにこぎつけたのに、俺は気の利いたこと一つもしゃべれなかった――気の利いたことどころか、何も話せなかったことに、田坂は歯噛みした。 俺ってつくづく恋愛には向かない、そう思えた。


 翌日はハルバート・プロへの三度目の訪問だった。 これが最後になればいいが、と心から願いつつ、田坂はスマートなエレベーターに乗った。
 最後に会ったときの結城副社長の、腹に突き刺さるような視線が心の負担だった。 またあんな迫力で押してこられたら、気合負けして不利な条件を飲んでしまうかもしれない。 土壇場で駆け引きをするのはこの業界の常だ。 晴佳ならあんな冷血サイボーグにもびくともしないだろうが、と余計な想像までしてしまった。
 まだ昨夜の物悲しさを引きずっていた田坂は、ドアを開いたとたんに飛び出してきた凄い騒音に思わず後ずさりした。
 中ではエミネムがスピーカーからわめき立てていた。 椅子やテーブルを壁際に寄せて造った広い空間では、三人の男の子が見事なブレイクダンスを披露していた。
 かちっとした鞄を下げて立ち往生した田坂を、尾関が部屋の向こうから見つけて、笑いながら手招きした。
「どうぞこちらへ」
 男の子たちは、訪問者などに目もくれず、飛び上がって膝や足の裏を叩き、空中で器用に向きを変えて、右へ左へとベーゴマ状態で回った。 とても脇をすり抜けていける状況ではない。 仕方なく、田坂がコートだけ脱いで横のコート掛けにぶら下げていると、尾関に呼ばれたのだろう、奥の事務室から結城が現れた。
 その姿を見た瞬間、田坂は勝利を確信した。 わずかな間にこんなに腑抜け状態になった男を、田坂はこれまで見たことも聞いたこともなかった。


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