「蒸発?」
ユラの低い問いに、宏章は答えをためらった。
「うつ状態だったから、ただの家出かどうか」
不意に晴佳が尋ねた。
「お兄さんって、あなたに似てる?」
「あ、写真持ってます」
そう言いながら、宏章は急いで懐からカード入れを出し、端の折れた一枚の写真を晴佳に見せた。
「これが兄の久典〔ひさのり〕、こっちが元の恋人の増川昭子〔ますかわ あきこ〕さん」
しばらく晴佳は、ハーフのような顔立ちをした三十歳前後の男の顔を、じっと見つめていた。
それから、まったく表情を動かさないまま、宏章に返した。
「心配でしょうね」
「ええ」
何度も何度も出して見たのだろう。 よれっと折れ曲がってしまった写真の角を、宏章は指で伸ばしてから、またしまいこんだ。
横から覗いていたユラが、ふうっと長く息をついた。
「みんな何か不幸を抱えてるんだね」
それから三人は半時間ほど飲み続けたが、なんとなく湿った雰囲気で、会話も途絶えがちになった。
あいまいな空気を断ち切ったのは、帰らなければらならいことを思い出したユラだった。
「そうだそうだ、うちのペットに餌やらなくちゃ。 そろそろタクシー拾いにくくなるしね」
「そうね」
すぐに晴佳も立ち上がった。
穴倉のような階段を上がると、外は風が吹き荒れていた。 バーテンの近松と話していたユラが少し遅れて道に出たとき、ちょうど宏章が一台タクシーを捕まえて、晴佳を乗せているところだった。
車が出た後を、宏章の目が追っていた。 あまりいつまでも見つめているので、ユラの心臓がつぶれたように縮んできた。
「そうだよなあ。 晴佳はほんとにきれいだもの。 見とれて当たり前だ」
小声で自分に言い聞かせたが、ねじこむような痛みは取れなかった。 そもそもユラから彼を誘ってボーリング場で遊んでいるときに、電話がかかってきたのだ。 それが晴佳からだと知ると、宏章は珍しく自分から言い出した。
「ああ、あの美人のひと。 ユラさんの親友ですよね。 僕ももう一度会いたいな。 ついて行っていいですか?」
いつも控えめな青年の口から出たとは思えない、積極的な売り込みだった。 そのときも違和感があったが、こうやって目の前で見せつけられると……
「私は役に立つ先輩、晴佳は本命ってわけね」
溜め息を噛み殺し、上機嫌な顔を作って、ユラは、うまくもう一台を確保した宏章に近づいていった。
梅島のマンション前で降りた晴佳が真っ先にしたのは、バッグを探って携帯電話を出すことだった。
入口の明かりを頼りに、五分以上かけて文面を作り、晴佳はメールを送った。 まず一通。 それから少し考えて、別の宛名にもう一通。
エレベーターから降りてドアの鍵を出したとき、返事が一つ来た。 文面を食い入るように読んだ後、晴佳は家に入るのを止め、再びエレベーターに乗って、マンションを出ていった。
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