晴佳の言葉は過去形だった。 持ち上げておいて、突き落とされた。 ジェットコースターのような二人の仲だった。
徐々に心がしびれていった。 これ以上の致命傷を避けようとするかのように。 その間、まったく無表情、無感動に見えた田坂を、晴佳は一度だけ首を巡らせて観察した。
「聞いてた?」
田坂はうなずいた。 そして、初めて冷たい針をこめて答えた。
「君って本当に軽いんだな」
今度は晴佳がうなずく番だった。 ゆっくり三度ほど首を上げ下げして、口元だけが微笑した。
「だから、忘れて」
「言われなくても」
そっけない言葉を残して、田坂は先にシャワールームへ入っていった。
出てきたとき、既に晴佳はいなかった。 ゴミはきちんと捨ててあり、部屋は静謐(せいひつ)だった。 まるで何もなかったような、誰も使わなかったような部屋を、田坂はぼんやりと見渡した。
突然腹の底から唸り声が突き上げてきた。
「勝手な真似するなよ! くたばれー!」
くたばりたいのは、自分のほうかもしれなかった。
◇〜◇〜◇
空港のロビーで晴佳を見つけ、大喜びで声をかけようとした石垣護〔いしがき まもる〕は、人違いかと思ってためらった。
そのぐらい、晴佳の顔は変わって見えた。 そばに行って初めて、厚化粧のせいだとわかった。
「ただいま!」
「お帰りなさい」
声は普通だった。 安心して、石垣はちょっと言ってみたくなった。
「ずいぶん濃いメイクしてるんだね」
「あ、これ?」
こともなげに、晴佳は答えた。
「パーティー用なの。 練習中」
「よしなよ。 素顔のほうがきれいなぐらいだよ」
「それはお世辞と取っていいのかしら」
「本音。 本音そのもの」
石垣は力を込めて答えた。
晴佳の横は、石垣にとって一番くつろげる場所だった。 助手席に座ると、長い息が出た。
「落ち着く〜」
「やっぱり日本はいい?」
「それもあるけど」
甘えて、石垣は晴佳の肩に顔を載せた。
「君がいるから」
晴佳は答えず、肘を動かして緑の車を発進させた。
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