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あおのロンド 51


「晴佳。 晴佳!」
 だんだん呼びかける声が鋭くなって、晴佳ははっと意識を横の男性に戻した。
「なに?」
 苛立ちを隠せずに、石垣はライターをテーブルに投げ出した。
「君っていつも上の空なんだな」
 医者の子で衛生には厳しい晴佳は、煙草が嫌いだ。 だが石垣は、吸っていいかと聞きもしないでメントールを取り出し、火をつけた。
「いろいろ考えなきゃならないことがあって」
 そこで晴佳は、心にわだかまっていたことに決着をつけようとした。
「あのね、杉下さんのことなんだけど」
「だれ?」
 石垣は忘れている。 晴佳の口元が締まって、小さな皺ができた。
「患者さん。 意識不明の」
「ああ……」
 灰皿に煙草を置いて、石垣は晴佳の視線を受け止めた。
「それで?」
「身元がわかったの。 まだ確認はしてないけど」
「えっ?」
 さすがに驚いたらしく、彼は座りなおした。
「どこの誰?」
「画家で、堀田久典という名前」
 煙草に勢いよく手を伸ばし、石垣は煙を二度も吹き散らした。 落ち着きがなくなっていた。
「へえ」
「それで……」
 改めてお願いが、と言いかけたとき、お茶菓子を持って母が入ってきた。 タイミングの悪さに、晴佳はがっかりした。
 だが、母に空気を読めというほうが無理なのはわかっていた。 お嬢様育ちで、よく言えば天真爛漫、呑気で気立てがいいのが取りえの人なのだ。 病院経営のやりくりや複雑な人間関係を相談しても、頭が痛くなると言って逃げ出すだけだった。
 気を取り直して、晴佳は訊いてみた。
「朱里の部屋にも持っていった?」
「ええ。 ふたりでトランプやってたわよ。 朱里とっても楽しそうだった」
「そう」
 胸騒ぎがした。 だが朱里の短い人生をいくらかでも明るくできるなら、少々の危険は目をつぶるべきかとも思え、晴佳は動揺を押し隠した。

 初めての訪問であまり長居しては信用されないことを、麓郎は知っていた。 だから壁の時計が小鳥のさえずりで七時を告げたときに、思い切りよく立ち上がった。
「あ、もう四時間もお邪魔しちゃった。 今日はこれで帰るね」
 朱里は一瞬言葉をつまらせたが、すぐうなずいた。
「ええ」
 ふわっと体を倒して耳元に口を寄せ、麓郎はささやいた。
「楽しかった。 すっごく」
 朱里の頬に、ぎこちない微笑が浮かんだ。
「うん、私も」
「また会おうね」
「電話してね」
「する! 君からもかけて。 いつでも都合つけるから」
 朱里は眼を伏せた。 睫毛の影が、アイシャドウのにじみに似て見えた。


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