車の中で直に電話を使うのは違法だし、危険だと、晴佳はもちろん知っていた。 だが、この緊急事態に限っては……
こめかみと肩で携帯電話を挟むようにして、晴佳は器用にカーブを切った。
「それで? 意識はどのぐらい戻ったの? 目は? 開いてる?」
耳の横で血管がどくどく言っているのが、自分でもわかった。 兄の声が、まだるっこしいほど遠くに聞こえた。
「まだ半分混濁状態だが、名前は言えた。 晴佳の思ったとおりだった。 堀田久典〔ほった ひさのり〕って名乗ったよ、彼」
やっぱり! 晴佳は素早く腕時計に視線を走らせた。 六時二十七分。
いきなりサイドガラスにコツンと音がして、晴佳はぎょっとなった。 脇を大型バイクが並行して走っている。 ヘルメットの下から三角になった眼が睨んでいた。
片手を離してジェスチャーしてきたので、電話を叱っているのだどわかった。 晴佳は口早に兄に言い残して電話を切った。
「考えが浮かんだの。 やれるだけやってみる」
「晴佳! おい!」
パチッと電話を閉じて、晴佳は外のバイクに首を動かしてあやまっておいた。 バイクの主は無表情で、すっと離れていった。
スピードを落として道路わきに止まるとすぐ、晴佳は再び電話を手に取った。 押したのはユラの番号だった。
間もなく出たのはユラ本人ではなく、マネージャーだった。
「あ、元宮さん? 渡辺です。 すいませんね、ユラは今リハーサル中で」
「こんばんは。 渡辺さんもしかして、堀田さんの番号ご存じない? 急用でどうしても連絡取りたいんです」
渡辺は、答える前に1拍置いた。
「ええと、彼ここにいますよ。 呼びますか?」
晴佳の声が緊張した。
「できれば。 お願いします」
十秒と待たずに、宏章〔ひろあき〕が電話に出た。
「もしもし、堀田です」
「元宮晴佳です。 この前バーでお会いしましたね」
どうしても口調が固くなった。 張り詰めた空気を、宏章も感じたらしかった。
「あのときは失礼しました。 酔っていたもので」
「あそこであなたが話したこと、あれ私に聞かせたかったんですよね」
ずばりと突っ込まれて、宏章は呼吸を整えた。
「ええと、僕何を話しましたっけ」
「お兄さんのこと。 償いで結婚しようとして蒸発してしまったと」
「ああ、ええ、確かに言いました、あれは成り行きで。 晴佳さんがどうとかいうことじゃないです」
宏章の声は落ち着いていた。 だが、それは晴佳の話を聞き終わるまでだった。
「探りあいはもう終わりにしましょう。 説明は後でしますから、すみませんが、できるだけ早く××区○○の元宮総合クリニックに来てもらえませんか? 私が、お兄さんのところへ案内します」
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