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あおのロンド 54


 反射的に宏章の本音が出た。
「案内って、そんなことできるんですか?」
「できます。 久典さんは生きてますから」
 ひび割れた笛のような音が、電話の向こうから伝わってきて、晴佳ははっとなった。 宏章はきっと、兄が死んだものと諦めていたのだ。 それが思いがけなく生きていると知らされて、心に張っていたバリアが崩れ落ちた。
 かすかな泣き声を聞きながら、晴佳は眼をつぶった。 自分も胸の底からこみ上げてくるものがあった。

 総合病院の門の横で待っていると、紺色のタクシーが停まって、中から転がり落ちるように宏章が出てきた。 晴佳は大急ぎで道に進み出た。
「こっちです」
 ぽつんぽつんと灯りのともった庭を、二人は空気をなぎ倒すような勢いで歩いた。
 ほとんど小走りになりながら、晴佳は低く硬い声で事故当日の説明をした。
「あの日は、兄と私と、兄の友達の石垣さんの三人で、私の車に乗って帰るところだったんです。
 私と石垣さんはお酒を飲んでいたので、飲めない兄が運転してました。 まっすぐの道で、兄はちょっと油断してたんでしょう。 携帯で撮った愉快な写真があるからって言って、取り出そうとしました。 そのとき、不意に衝撃があって車が揺れて」
 宏章は無言で唇を噛んだ。 晴佳は緊張を隠せない表情で続けた。
「兄は医者ですから、すぐ車を停めて、はねてしまった男性を診たんです。 外傷はないけれど意識がなくて……」
 そこで初めて、晴佳は言いよどんだ。
「すぐ警察に届けるべきでした。 でも、兄はパニック状態だし」
 それに石垣が、口をすっぱくして兄妹を説得した。 大変なスキャンダルになるから、隠し通したほうがいいと。
 晴佳の表情が辛そうに歪んだ。
「示談にしたいと、思ってしまったんです。 回復すれば話し合いができるだろうと」
 別館が見えてきた。 まっすぐ前方に眼を据えたまま、宏章が押さえた声で尋ねた。
「じゃ、なぜ一ヶ月以上も兄を隠していたんですか?」
「戻らなかったんです、意識が!」
 晴佳は小声ながら叫んでしまった。 たまらなかった。 あの夕刻の判断ミスが、これほどの波紋を呼ぶとは、誰が予想しただろう。

 病室の前に、ひょろっと背の高い白衣の男が立っていた。 晴佳を引き伸ばして、落ち着きと自信を抜き取った感じだ。 宏章にはすぐ、これが彼女の兄だと見当がついた。
 佑磨〔ゆうま〕は。妹が連れてきた青年を一目見たとたん、体を大きく震わせた。 宏章にも兄の久典の面影が色濃く映っていたのだ。
「晴佳」
 心細そうにつぶやく佑磨に、晴佳がはっきりと言った。
「この人が弟さん。 堀田宏章さんよ」
「どうも、この度は」
 佑磨の語尾がかぼそくなった。 彼がぎこちなく詫びようとするのを遮って、宏章は鋭く訊いた。
「兄は? どこですか? 会わせてください!」
 大急ぎで、佑磨は扉を開いた。 前のめりになって中に入った宏章は、ガラス越しにベッドを見て、いもりのように両手でガラス面に張りついてしまった。
「兄さん……兄さん!」
 ベッドの上では、男がゆらゆらと首を動かしていた。 視線がまだ充分に定まっていないが、それでも誰が来たか見分けたらしく、奇妙な細い声が伝わってきた。
「ひ、宏章?」


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