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あおのロンド 61


 顎に垂れてきた血を拭いながら、石垣は歪んだ表情で殴った男を見上げた。
「おまえなあ」
「出てけよ!」
 肩を大きく震わせながら怒鳴ったのは、晴佳の兄だった。 これまで石垣に逆らったことのない、おとなしい優等生の元宮佑磨だったのだ。
「陰に回って汚い真似しやがって、もう二度と来るな!」
 壁に寄りかかって立ち上がろうとしながら、石垣は負けずに威嚇した。
「こそこそやってたのはお前らのほうじゃないか! 交通事故を黙ってた件で訴えてやるぞ!」
 佑磨の口がねじまがった。
「それが本性か。 はっきり言わずにずっと晴佳に圧力かけてたんだな。 結婚しなきゃ警察に言ってやる、兄貴と病院に泥塗ってやるって」
「ふざけんな。 後ろ暗いのはそっちだろうが」
 別の足音が近づいてきた。 そして、静かで冷ややかな声が響いた。
「僕たちは訴えませんよ。 あなたが事件にしようとしても無駄ですから」
 石垣は血走った目を動かして、後から合流した美貌の青年をじっと眺めた。
「誰だ?」
「堀田久典の弟です」
 言葉遣いは丁寧だが、話し方はそっけなかった。
「兄の久典は死のうとしたんです。 飛び込みは交通事故じゃない。 犯罪は成立しません」
 誰かの溜め息が聞こえた。 かすかな安堵の吐息だった。
 石垣がとっさに答えられないでいるうちに、宏章の視線は美知香に向いた。 美知香はひるんだが、虚勢を張って睨み返した。
 宏章の声は更に冷たさを増した。
「北さん歩けるんだ。 松葉杖なんか飾りだったんだね」
「あのときは足が動かなかったのよ」
 やけになったように、美知香は怒鳴り返した。
「ほんとなんだから!」
 そうだったかもしれない、と晴佳はふと思った。 ショックでヒステリー現象が起き、一時的に筋肉が動かなくなる症状を、何度か見てきた。 ヒステリーとは泣き喚きと誤解されているが、実際は身体が硬直して意のままにならなくなることで、パニックになったときに起きやすい。
 美知香はその現象を逆手に取って、久典をがんじがらめにした。 石垣も事故を利用して晴佳を手に入れようとした。 ふたりとも自分の夢を追うのに夢中で、手段を選ばなかった……。
 床から立とうとした晴佳に、宏章が手を貸した。 感謝をこめて小さく頭を下げてから、晴佳はそっぽを向いている石垣に向き直った。
「今夜は帰って。 日を改めて話し合いましょう」
「勝手だよ」
「事情が変わったのよ」
「だから勝手だって言ってるんだ!」
 語尾が濁った。 石垣は荒っぽく体を回してドアから出ていった。 置いていかれそうになった美知香が慌てて後を追った。


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