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あおのロンド 69


 その晩遅く、佑磨の自宅に、ちょっと意外な人から電話がかかってきた。
 風呂から出て、今夜は久しぶりに白ワインでも、とラックを探していた佑磨は、しめっぽい表情になって時計を見た。
「十時か……」
 また病院で揉め事か、それとも担当患者に急変があったのか。 空元気を出して、えいっと取った受話器から、ユラの気ぜわしい声が流れてきた。
「あ、佑磨さん? こんな時間にごめん。 晴佳が携帯切っちゃってるんで」
 ほっとして、佑磨は明るい調子になった。
「どうした? 晴佳に急用?」
「いや、佑磨さんでもいい、てより、佑磨さんのほうがいいかも。
 あのね、宏章の兄さんの恋人、明子さんって言ったっけ? その人、兄さんの病室に泊り込みなの?」
「いや。 お母さんとふたりでホテルに滞在してる」
「そう…… ふられた婚約者っていう人が、変な電話してきたんだって。 それでね、私が彼女の立場だったら誰が一番憎いかなって想像してみたの。
 どう思う? たぶん明子さんだよね」
 佑磨の心臓が、びくっと1拍飛ばして鳴った。
 そうだ、晴佳に婚約を断られた石垣は損害賠償の訴訟を起こす準備をしているという。 そういうはけ口があればまだいい。 負けたくないから手荒な行動には出ないはずだ。
 しかし、美知香にはうさ晴らしの手段さえない。 『婚約を破棄するに足る重大な齟齬〔そご〕』という項目に当てはまるからだ。
 平たく言えば、嘘つきに相手の誠意を要求する資格はないということだ。 面目を失ってすごすご故郷に戻るのは、美知香には耐えられない屈辱だろう。

 不安が暗く心を覆った。 もうのんびりとワインを選んでいる気持ちにはなれず、佑磨はユラに礼を言って慌しくいったん切り、すぐに病院にかけ直した。
 宿直の看護師によると、久典の母と明子は病人の早い夕食が済む五時ごろまで病室にいて、それから彼の勧めで、骨休めに映画を見に行ったという。
「晩飯食べて映画館に行って……ちょうど今ごろ帰ってくるんじゃないか?」
 二人が泊まっているホテルは把握していた。 毎日同じ道をたどって帰るから、美知香にもすでに知られているだろう。 佑磨はホテルにかけてみることにした。
 電話に出たのは久典の母親だった。
「あ、こんばんは。 久典になにか?」
 驚かせてしまったのを知って、佑磨はできるだけ明るい声を出した。
「いえ、大丈夫です。 あの、そちらは平気ですか? 何か変わったことは?」
「こっちですか? いえ」
 それから母は思い出した。
「そうそう、素敵なものをありがとうございます。 明日が明子ちゃんの誕生日だって、よくご存じでしたね」
 佑磨の顔から血の気が引いた。
「何の……ことでしょう」
「さっき戻って来ましたらね、フロントにプレゼントが預けてあって。 晴佳さんからですって。 明子ちゃんの大好きなモンブランだったそうですよ」
「食べちゃだめです!」
 いきなり佑磨は絶叫した。

 幸い、明子は夜の九時過ぎには食べ物を採らないことにしているので、中身を見た後、明日の楽しみにきちんと包み直していた。
 病院の検査室で調べたところ、ケーキには、致死量には足りないが、砒素が混入が注入されていた。 


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