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表紙

心の連鎖 4


 外は快晴だった。 晩秋の風はすでに冷たかったが、頬にささるほどではなく、そう強くもなかった。
 さっと妻を助け乗せて自分も乗り込むと、ロジャーはすぐに馬車を出すように命じ、葉巻を取り出した。
「東の部屋で物音がするんだって?」
 夫に問われて、トリシーは可笑しそうに顔をほころばせた。
「そう。 夜の七時ごろになると決まって、バンシー(=スコットランド伝説の死霊)みたいな声が聞こえるんですって。 ルーシー・メイがすっかりびくついてしまって、西の一番端に部屋を替わってもらったのよ」
「うちには伝説の幽霊なんかいない」
 ロジャーはきっぱり言い切った。
「建てて百年経ってないし、貴族の館みたいな殺し合いもなかった。 そんな迷惑なものが住み着いているなら、わたしが追い出してやる」
「その必要はないと思うわ」
 トリシーは手袋をはめながら落ち着いて答えた。
「原因はわかってるの。 隙間風よ。 冬が近くなって風向きが変わったから、東側の壁で大きくなってきたひび割れに吹き込むのよ」
 ロジャーの肩から力が抜けた。 表面の強気とはうらはらに、心のどこかでは不安になっていたらしい。
「なんだ。 わかってるならすぐ直せばいい」
「あなたに相談してからと思って。 左官のウェズリーさんを呼ぶ?」
「そうしてくれ。 できれば監督も頼む。 わたしはまた訴訟のことでロンドンに行かなきゃならんのだ」
 わずかにトリシーの顔が曇った。
「やっぱりキャシーは譲れないって?」
「そうだ。 息子が三人もいるからな。 手に入る可能性のあるものは、何がなんでも取りたいんだろう」
 トリシーは窓枠に寄りかかり、がっかりした表情で、ゆっくり流れていく景色に眼をやった。
 キャシー・マッカラムはトリシーの以前の雇い主であり、友達でもあった。 コートニー家ほどではないが充分財産を持ち、子供にも恵まれていた。
 しかし、夫には先立たれてしまった。 それ以来、キャシーは再婚せず、女手ひとつで三人の男の子を育てている。 土性骨が座った、きっぷのいい女性なのだが、最近になって近所と揉め事を起こすようになっていた。
「従兄弟に相続権を騙し取られたという話を聞いたわ。 きっと人が信じられなくなったのね」
「だからといって、うちにまで当り散らすことはないだろう。 クレインの丘は、わたしが覚えている限りずっとうちの所有地だった。 古文書まで持ち出して、マッカラムの土地だと言い張るのはあきれたものだ」
「土地の権利書があるんだから、あなたが負けることはないわ。 ああ、早く片付くといいわね」
 気持ちが沈むのを避けようとして、トリシーは急いで話題を変えた。
「ロンドンに行くのなら、頼まれて。 フィリスに渡したいものがあるの」
「何だい?」
「ドレスのカタログよ。 デビュタント用の」
 デビュタント――それは社交界に初めて出る令嬢の呼び名だった。 フィリスは十七歳で間もなく卒業する。 ロジャーは一人きりの妹を、スイスの名門お嬢様学校に入れるつもりで、下準備に入っていた。 だがその前に、社交界デビューという華やかな行事が控えているのだった。
 ロジャーの額から影が消え、目が楽しそうに輝きはじめた。
「いよいよか。 あの子も最近ずいぶん女らしくなってきたからな」
「まずヨークデイルの町で予行演習をして、それからロンドンに出るの。 楽しみだわ。 身なりを整えて少しお化粧をすれば、フィリスは見違えるようになると思う。 印象的な顔だもの」
「そうだな」
 ロジャーは、あまり注意して見たことのない妹の顔立ちを細かく思い浮かべようとしたがうまく行かず、微笑してごまかした。
「まあ人目を引くほうかもしれないな」
 トリシーはこの機会を捕らえて、前から気になっていたことをそっと注意した。
「ちょっとはフィリスに関心を持ってあげてね。 多感な年ごろだし、肉親はもうあなただけだから」
「ああ」
 ロジャーの視線が揺らいだ。
「忘れているわけじゃないんだが、最近忙しくて。 それに」
 がっちりした手が伸びて、トリシーの手に重なった。
「こっちから目が離せないし」
「あら、私が心配?」
 口を軽くとがらせて、トリシーは夫をからかった。 ロジャーはにやにやしながら言い返した。
「すごく心配だ。 糸の切れた凧みたいにさまよい歩くのが好きだから」
 そして、素早く前を見て、御者が振り向かないのを確かめると、妻を抱き寄せてさっと膝に乗せてしまった。


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