心の連鎖 5
翌日の午後は美術の授業があった。 手のひらより少し大きいぐらいのワックスの板に、級友の顔を浮き彫りで作るのだが、二組の少女たちはその日に限って落ち着きがなく、光が足りないとかもっと影をはっきりさせたいとか言っては窓の近くに寄りたがった。
一番落ち着いているのが、みんなの騒ぎの元になっている当人のフィリスだった。 彼女はじっくりとキティの横顔を見ては鼻の角度を修正したり唇の凹みをなだらかに削ったりして、丹念に仕上げていった。
横を通りかかったリーが、覗き込んで言い残した。
「似すぎてる。 ワックスに顔押しこんで型をつけてから作ったんじゃないの?」
「キティの顔はこの倍はあるわよ」
とたんにモデルが怒って、気取って座っていた椅子から飛び降りてきた。
「どこが倍よ! いくら私の顔が丸いからって!」
無言でフィリスはワックスをキティの顔めがけて差し出した。 たしかに二倍、いや二倍半ほど大きさが違った。
唇を噛んで、キティはフィリスの胴を殴るまねをした。
「うちの兄ちゃんボクシング習ってるんだからね。 こんど教えてもらって、ガーンと一発」
「きちんと仕上げなさい、キティ・マッコイ。 遊んでいるとワックスが固くなって直しにくくなるわよ」
「はい、シムズ先生」
先生に向けた右の顔はおとなしく、左半分を恐ろしげにゆがめてフィリスを威嚇すると、キティはしぶしぶ座席に戻った。 生徒たちは二人一組になって互いの顔を作りあっているのだった。
ワックスをこね回しながら、キティが低い声でうなった。
「ゴリラにしてやるー。 フィリス・フィリックス・ゴリラーノの肖像!」
なぜキティがこんなに怒るのか、フィリスにはわからなかった。 ワックス板が小さいのだから、顔が倍あったって当然じゃないか。
「ゴリラでも何でもいいけど、私とわかるように作ってよ」
今度は下手くそだと皮肉を言われたと思い、キティは真っ赤になった。
「よくも言ったな! よーし、そっちがその気なら」
先生は後ろを向いてアマンダ・レイシーを指導している。 今がチャンスだと知ったキティは、いきなりフィリスに飛びついて首筋から生あたたかいワックスを服の中に落とした。
我慢づよいフィリスは悲鳴はあげなかったが、目を白黒させて体をよじった。
「こら! やめなさいって! 取らないとせっかく作った顔がつぶれちゃうからね!」
首を振りながらマイラがやってきて、フィリスの背中に手を突っ込んだ。 取ってくれようとしたのだが、その手が氷のようだったので、ワックスよりもそっちの感触で思わずフィリスは声をあげた。
「あう……」
「あなたたち!」
騒ぎに気付いて振り向いたシムズ先生が叱った、ちょうどそのとき、窓際にいたリーが声を上げた。
「来た!」
たちまち少女たちは造形そっちのけになって、先を争って窓の前に群がった。
「スマートね」
「労働者じゃないわね。 三つ揃いのスーツ着てるもの」
鉄柵は、美術教室からテニスコート二面をへだてた東側だった。 それほど遠くないので服装や歩き方はよくわかる。 青年はまっすぐに脚を伸ばして若々しく進んできたが、鉄柵の半ばぐらいまで来たとき、不意に歩みをゆるめた。 そして、誰もが気付くほどはっきりと首を伸ばして、テニスコートを眺めわたした。
短気だが、すぐケロリとしてしまうキティが、息を殺して囁いた。
「ほら! これを崇拝者と言わなくて何と言う!」
とたんにマイラが窓を開けた。 それもただ開けただけではない。 ギイという音に目を上げた青年に向かってニコッとしたあげく、右手で背後にいたフィリスをぐっと引き寄せて窓辺に突き出した。
建物の中と外で、否応なしに視線が合った。 青年は三度まばたきし、優雅な輪郭を持つ顔をみるみるレンガ色に染めた。
だが、二人の視線は外れなかった。 まるで灯台の光を追う難破船のように、青年の目は動揺するフィリスの瞳に吸いつけられていた。
無言で見つめあったまま、彼はふところから何かを取り出し、素早く身を屈めて、柵の下に作られた細い植え込みの陰に置いた。 そして、初めて会ったときのように軽く帽子に手をかけると、急ぎ足で去って行った。
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