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心の連鎖 8


 夕食前、アマンダは特別許可を取って自宅に電話をかけた。 当時の電話は実用化されたばかりで、金持ちと政治家しか持っていなかったし、かけ方もややこしかった。
 まずハンドルをぐるぐる回す。 それから受話器を口に当てて大声を出さなければならない。 相手は交換手と言われる女性だ。 その女性に、かける電話番号を告げると、彼女がピンジャックを差し込んで、ようやくつながるのだ。
 ぎりぎりで食堂に入ってきたアマンダは、フィリスと目が合うとウィンクしてみせた。 家令のジョージとうまく連絡が取れたらしい。 ほっとしたフィリスは、同時にまた胸が甘く痛むのを感じた。

 翌日の午後、アマンダの予言どおりに、体育のローゲン先生と教頭のランフィス先生(男性)が裏庭を行ったり来たりし始めた。 まるでデートのようだが、二人の目が道路にそそがれているのを見れば、目的は明らかだった。 図々しく女学校を覗く若者を追い払うつもりなのだ。
 その日は金曜日で、ふたたびテニスの授業があった。 フィリスたち最上級生は、十五分ほどスマッシュの講習を受けた後、練習試合に入った。
 先生方が巡回しているから、少女たちはできるだけ道を見ないようにしていた。 それでもテニスコートを走り回っていれば自然に目に入る。 いつものようにセント・イノックの行進が通り過ぎ、いよいよ一時半だということで、みんな気もそぞろになって、なんでもないボールがラケットから外れ、どんどん決まりだした。
「集中ですよ、皆さん! 集中!」
 担当のストウ先生が手を打って励ました。 その直後、P寺院の鐘が遠くから響いてきた。 午後二時の鐘だった。

 ネットを取り外して後片付けをしているフィリスのそばに、同級生のエイプリル・サンダースが近寄ってきて言い残した。
「振られちゃったわね」
 ラケットを抱えてさっさと遠ざかっていくその後ろ姿に、キティが憎らしげな一言を浴びせた。
「類人猿!(=英語で『エイプ』)」
 マイラが肩をすくめて言った。
「妬みよ。 焼き餅やいてんのよ」
 フィリスは無言でネットをたたんでいた。 短いほうの端を持ち上げ、向こうの端を持ったキティと歩み寄って合わせる。 絨毯を畳むときと同じやり方だった。
「明日……じゃないか、明日から週末だ。 きっと来週にはまた来るわよ、彼」
 明日は土曜日。 フィリスの動きが止まった。 まだアマンダと話し合う機会がない。 どうなったのだろう。 ジョージはうまくやってくれたのだろうか……
 もうネットは後一つ折れば終わりだった。 キティがやさしくフィリスの手から白いかたまりを抜き取り、腕一杯にかかえて準備室に向かった。 マイラがぽんとフィリスの肩を叩いた。
「心配するな。 彼のほうがあんたに夢中なんだから!」
 
 歴史の授業で、フィリスはアマンダと一人間を置いた隣りの席になった。 すると横のヘザーから、扇子のように細く折りたたまれた紙が渡ってきた。 いつもなら講義が終わるまで持っているのだが、その日はさすがのフィリスも我慢できず、参考書の陰に隠してそっと開けてみた。
 中にはアマンダの細長い字で、こう書いてあった。
《連絡取れた! 彼は本物。 明日の三時にハイド・パークのサーペンタイン池ほとり、ポセイドンの彫像横で》
 フィリスの喉がごくりと鳴った。 あわてて制服のポケットに突っ込むと、ノートに顔を伏せ、黒板の文を書き写しはじめたが、どうにも指に力が入らなかった。
 若い男の人と外で待ち合わせするなんて、もちろん生まれて初めてだった。 十四歳まで郊外の田園地帯で、大きな屋敷にまるで囚われ人のようにひっそりと暮らしてきたから、人付き合いに免疫がない。 トミーのように男の子の友達がいればよかったのだが、マッカラム・ギャングと呼ばれるその三人兄弟は、静かなフィリスには乱暴すぎたし、年も若すぎた。
 会っても何を話したらいいか全然わからない――気まずい雰囲気で立ち尽くしている自分を早くも想像して、フィリスはアマンダの誘いを受け入れたことを後悔し始めていた。


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