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心の連鎖 19


 乳母のジニーに赤ん坊の世話を任せて、トリシーが手紙の仕分けをして必要な返事を書いていると、つむじ風のようにロジャーが入ってきた。
 トリシーは別に驚かず、顔を上げてにっこりした。
「お帰りなさい。 ロンドンはどうだった?」
「変わらず。 ごちゃごちゃして埃っぽい」
 かがみこんで妻にキスすると、外出着のままだったロジャーはネクタイをゆるめて外し、くしゃくしゃのまま椅子に投げた。 ついで上着とベストも同じ運命を辿った。
「ズボンは脱がないでよ。 独身の使用人がいるんだから」
 くつろぎ過ぎのロジャーに注意しながら、トリシーは素早く封筒に宛名を書いて吸い取り紙を当て、横のトレイに積み重ねた。 全部で手紙は四通になった。
その束を手に取って、ロジャーは書かれている名前を確かめた。
「ヴォーン、ウォルストン、マーサ・バーチ……助かるよ。 君が来てから近所付き合いが八割がた楽になった」
「これでキャシーが気持ちを変えてくれたら、なんの悩みもないんだけど」
 ふたりは顔を見合わせた。 そして同時に話し出した。
「ダリーが……」
「裁判なんだが……」
 裁判、と聞いて、トリシーの目が鋭くなった。
「やっぱりそうなるの?」
 そばの椅子に腰を下ろして背もたれに寄りかかると、ロジャーは眉をしかめて脚を組んだ。
「キャシー・マッカラムは本気らしい。 土地問題に詳しい弁護士を、わざわざマンチェスターから呼びつけたそうだ」
「私が話しに行ってきましょうか。 あなたが会っても喧嘩になるだけだから」
「今度ばかりは、君が矢面に立っても難しそうだぞ」
 ロジャーは同意せず、首を振った。 しかし、トリシーはあきらめなかった。
「正式な権利書がこっちにある以上、裁判にすればキャシーは百パーセント負けるわ。 でも話し合いで八十対二十とか、七十対三十ぐらいにできれば、これから一生にらみ合わずにすむでしょう?」
「土地を一部譲れってことか?」
「そうは言わないわ。 むしろ逆に、マッカラム家から離れたあの飛び地、遠すぎて管理できなくてシェイキーズの連中が勝手に羊を入れてる草地を、うちに売ってもらうの」
「しかしあれは……」
 ロジャーの反論は中途で途切れた。 ある事実に思い当たったのだ。
「あの草地は、うちの領地の外れだ」
「そう」
「あそこを通れれば、広い道から簡単に家畜を運べる」
「そう!」
「トリシー、さすがだ! 大した陰謀家だ!」
 災い転じて福をなすとは、このことだ。 かたくなになっているキャシーをどう納得させるか、頭で作戦を練りながら、トリシーは喜んだ夫の抱擁をやさしく受けた。

 トミーは昼食前にちゃんと戻ってきたので、こっそりマッカラム家に行っていたことはばれずにすんだ。 ロジャーは上機嫌で、外で食事したいと言い出し、使用人たちがテーブルと椅子を運んで、広いテラスで子供たちと一緒の昼食が始まった。
 ロジャーが目を細めて、トミーのぷっくりした顎回りにナプキンをかけてやるのを見守りながら、トリシーは考えた。
――この人、トミーには本当に優しい。 かわいくて仕方がないみたいね。 この半分の愛情でもフィリスにかけてやってほしいけど――


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