表紙目次文頭前頁次頁
表紙

心の連鎖 20


 馬車は三時少し前にレイシー邸の前に横付けされた。 フィリスはスコットの手助けを断って、身軽に一人で馬車から降りた。 そして、本を両手で抱えあげながら青年に微笑を向けた。
「今日はありがとう」
「僕の方こそ」
 スコットも微笑もうとしたが、うまくいかなかった。
「何か……なんだか、一人で下宿に帰るのが侘しくなってきた」
「また会いましょう」
 青年の唇が激しく震えた。
「いつ? 今度いつ会える?」
 フィリスは急いで思いを巡らせた。 来週、と言いたいところだが、アマンダの都合がいいかどうかわからない。 それに、お互いすぐ近くにいるのに、一週間も顔を見ないで過ごすのはもう物足りなかった。
 考えた末、フィリスは思い切って提案した。
「たぶん明日。 うまく行けば毎日でも。  テニスコートの横の道は見張られてるから、一つ前の角で右に曲がって。 使われてない古い倉庫があるの。 その裏で会えると思う。 十五分ぐらいなら怪しまれずに抜け出せるわ」
 スコットの眼が濡れたように輝いた。
「何時ごろ?」
「午後の自由時間が五時から六時半までだから、その間なら」
「わかった! じゃ、六時」
「六時ね」
 ふたりはうなずき合い、約束の印にスコットが馬車の上から、フィリスが道から手を伸ばしあって指を触れた。
「また明日」
「ええ、明日に」
 ゆっくりと指が離れ、馬に軽く鞭が入った。 馬車の影が薄闇に溶け込んでいくのを、フィリスは黙って見送った。


 翌朝の午前九時、コートニー邸ではトリシーがちょっと困り顔で、昨日キャシー宛に持っていかせた手紙の返事を読んでいた。
 訪問するのがトリシーだけならいつでも歓迎という内容を見て、ロジャーをどう説得しようか考えながら服を選んでいると、茶色のフロックコートに身を包んだ当のロジャーが颯爽〔さっそう〕と入ってきた。
 臙脂色〔えんじいろ〕のウェイストにずらっと一列並んでいるボタンを止めるのを手伝ってもらいながら、トリシーはなんとか夫を思いとどまらせようとした。
「一人で行けるわ。 話も女同士のほうがやりやすいし」
「屋敷の中まで入るとは言ってない」
 ロジャーは頑固だった。
「あの家には悪魔どもがいるからな。 君を入れまいと妨害するかもしれん。 玄関までしっかり送り届ける」
 トリシーは笑い出しそうになった。
「あのマッカラム・ギャングが? 私たちずっと友達なのよ。 忘れた?」
 覚えていたくない、という苦い顔で、ロジャーは妻を見返した。
「何が友達だ。 あの薄汚れたガキどもを、どうしてまともに相手にするんだ」
「最近きれいになってきたわよ」
 何食わぬ顔で、トリシーはロジャーを挑発した。
「ビリーなんか町から帰ってくるたびに背が伸びて、顔立ちもしっかりしてきて。 もしかするとここらへん一番の美男になりそうよ」
「フンッ」
 ロジャーは思い切り鼻であしらった。
「青っぱな垂らして袖口で拭いてた小僧がか! 少々男らしくなったところで、うちのダリーの足元にも及ばん! あの子は本当にきれいだ。 まったくアランそっくりだ!」
 だがそう自分で言い切ったとたん、ロジャーの顔に憂いの色がすっと走った。


表紙 目次前頁次頁
Copyright © jiris.All Rights Reserved