心の連鎖 21
「なあ、トリシー」
「ん?」
「トミーはアランの子だから似ているのはわかる。 だがなぜダリーがあんなに生き写しなんだ?」
トリシーの視線が床に落ちた。 病に倒れ、若くしてこの世を去ったアラン・コートニーの名前は、この家では禁句に近く、特にロジャーが口にすることは極端に少なかった。
「……やっぱり甥だから」
「ときどき夜中に目が覚めると不安になるんだ。 姿が似ているということは、体質も似通っているということだろう。 もし……あの子たちが結核にかかるようなことがあれば」
ロジャーの浅黒い顔は血色がわかりにくいのだが、それでも透けて見えるほど青ざめていた。 トリシーは急いでロジャーの手を取り、強く握りしめた。
「結核は遺伝じゃないわ。 空気感染する病気だそうよ。 だからうつらないようにすれば大丈夫。 アランは気の毒に、知らないでお母様から病気をもらってしまったのよ」
「フィリスは頑丈だからロンドンに行かせたが、トミーとダリー、それにグレンも都会の学校には入れない。 冬になったら地中海へ行こう。 これから毎年転地できるように、あっちに別荘を買うつもりだ。 暖かい地方には結核が少ないというからね」
今のところトミーもダリーもすこぶる健康だが、ロジャーの言うことには一理あった。
「そうね、素敵な計画だわ」
「だろう?」
ロジャーは元気づいてにこにこした。
「しばらくこの屋敷を離れることになるから、マッカラム一族とのごたごたを早く解決しておきたいんだ。 さもないと留守中にあのガキどもに廃墟にされるぞ」
あきらめて、トリシーも微笑んだ。
「わかったわ。 一緒に行きましょう。 ただし、招待されたのは私だけだから、話がまとまるまで少し外で待っててね。 うまく説得できたら、あなたを入れてもいいと言ってくれると思うの」
「よし」
黒い眼を光らせて、ロジャーはうなずいた。
外はうす曇で、冷たい風が木立を吹き抜けていた。 間もなく本格的な冬になる。 海から離れたこの土地では、冬の厳しさは半端ではなかった。 窓ガラスには霜が凍った花のような模様を作り、戸外は昼間でも零下の気温で、うっかり素手で鉄のノッカーにさわって張り付き、皮がむけることさえあった。
「はいっ、よう」
近所なので、ロジャー自らが小型馬車を御していった。 毛皮のマフに両手を差し込んで横に座ったトリシーの眼は、短い掛け声と巧みな手綱さばきで馬を走らせている夫の手元にそそがれていた。
トリシーは、馬車を駆っているロジャーを見るのが好きだった。 がっちりと分厚く、それでいて指の長い美しい手。 きりっと締まった口元。 角ばった顎の線。 どれを取ってもロジャーは男らしかった。 町でもてはやされる優美さはないけれど、彼なりに洗練されていたし、何よりも頼もしかった。
まっすぐ前を見たまま、ロジャーは唇をほころばせた。
「何見てる?」
「馬といると楽しそうだなと思って」
「ああ、乗るのも御すのも好きだよ。 ここらへんの人間は馬と共に育ったようなものだからな」
遠くに白い塊が見えた。 二十頭ほどの羊の群れだ。 その斜め後方を黒と白のつぎはぎ細工のような小さな姿がすばしこく走り、時には身を伏せ、巧みに群を誘導していた。
「ダーリントンさんちのジョックだわ。 羊囲い込みコンテストで三年連続優勝してるのよ」
「うん、あれはいい犬だ。 この前あの犬の連れ合いに子供が生まれたんで、二頭買う約束をした」
「へえ! すごいじゃない」
トリシーの声が弾んだ。 子供と犬の大好きなトリシーは、ジョックとも仲良しで、素直で賢い彼(ジョックは五歳のオス犬だった)をとても可愛がっていたのだ。
道を大きく左に折れて、馬車は木の囲いの前に止まった。 こちらが正門のはずなのだが、表戸の塗料はところどころ剥げ、黒い木目がむき出しになっている。 この門が塗り直せないとは、キャシーは表向き以上に金に困っているのかもしれない、とトリシーは思った。
軽い身のこなしで馬車を降りると、ロジャーは妻を支えて下ろし、並んで門へ向かおうとした。
そのとき、声がした。
「敵兵発見! 敵兵発見!」
そしてロジャーが向き直る暇もないうちに、門のすぐ横にそびえ立つ楠から巨大な蜘蛛の巣のようなものが降ってきて、見事にロジャー一人をすっぽり覆いつくした。
横にいたトリシーには実害がなかったが、マフに網の縁が当たって落ち、ころころと地面を転がっていった。 柵の外れから、顔を泥で真っ黒に塗った少年が立ち上がってそのマフを拾い、走ってきてトリシーに渡した。
「ありがとう」
礼を言っている場合ではないのに、妻がにこやかにうなずいているのを網目の中から見て、ロジャーはカンカンに怒り、荒々しく魚採りの投げ網を持ち上げ、振り払い、ついでに蹴っ飛ばした。
「何やってるんだ! 悪魔野郎に笑いかけるより、自分の亭主を助けろ!」
「別に怪我するようなことじゃないし」
トリシーは落ち着いて答えた。
「かっかしない方がいいわ。 相手を喜ばせるだけよ」
「君はいったいどっちの味方だ!」
ロジャーの顔は今や真っ赤だった。
Copyright © jiris.All Rights Reserved