心の連鎖 29
木曜の夜、いつもと違うことが起こった。 ふたりが倉庫の陰で手を握り合っているとき、コツコツという革靴の足音が近づいてきたのだ。
ふたりは凍りついた。 今身を潜めている場所は、倉庫の古壁と二本の大木とに挟まれて、道からも校庭からも見えにくい、絶好の隠れ場だった。 それでも念を入れて覗きこめば見つかってしまう。 そうなれば、どんな言い訳をしようと退学まちがいなしだった。
息をするのも用心しながら、フィリスは考えた。 それだけじゃすまない。 良家の子女を誘惑した罪で、スコットまでが職を追われるかもしれないのだ。 そして二人は二度と会えなくなる。
どうしよう! フィリスの指に力が入った。 同じようにスコットも緊張していた。 手のひらにじっとり汗がにじんできていた。
足音は止まらずに、裏庭を歩き過ぎていった。 そして図書室の裏口あたりでもう一つの足音と合流して立ち止まった。
「巡回なんかする必要があるんですか?」
面白くなさそうにそう訊いたのは、体育のローゲン先生の声だった。 すぐに男の声が答えた。
「柵を乗り越える男を見たんだそうだ」
「それって昨日でしょう? おまけに告げ口しに来たのが、あのホラ吹きで有名な肉屋のデイトンさんなんだから、信用できませんよ」
「泥棒かもしれない」
「それなら柵の内側にガラガラでもつけておけば、越えたとたんに鳴り出しますよ」
「でも、うちは女学校なんだから、特に用心しないと」
「夜に生徒たちはどこにいます? 忍びこむなら向こうの寮でしょう? ここから入ったら一番遠いじゃありませんか」
「確かに」
教頭のランフィス先生は納得した様子で、そのまま足音は遠ざかっていった。 初めからそんなに真剣に調べる気はなかったらしく、念のためとしか思えないおざなりな点検だった。
しかし、倉庫の端にうずくまった恋人たちには深刻な事態だった。 周囲をよく見回してから入ってきていたのに、肉屋の小さな目は意外に鋭く、スコットの不審な動作を見とがめていたのだ。
「どうしよう。 もうここには来られないね。 僕がもっと注意していれば……」
うなだれたスコットを、フィリスはたまらなくなって強く抱き寄せた。
「あなたのせいじゃないわ。 商売をほったらかしにして道をうろうろしてるデイトンさんがどうかしてるのよ」
「ともかく、これ以上君に迷惑かけられない。 でも」
少し身を離して顔を上げると、スコットは月明かりをたたえた眼で、ひたむきにフィリスを見つめた。
「会わずにはいられない。 君の顔を見ないと、もう眠れないんだ」
「じゃ」
フィリスは懸命に、頭が痛くなるほど考えた。
「明日はこの時間に、肉屋さんの目の届かない北側に来て。 でもあっちはここと違って隠れるところがないの。 寮に近いから他の生徒に見つかりやすいし……
そうだ! 井戸小屋の横で、これからどうするか考えたメモを渡すわ。 あなたもいい考えが浮かんだら書いて。 渡し合いましょう。
あなたが来るのが見えたら、柵に紙を挟んでおくわ。 あなたは足を止めずにそれを抜き取って、替わりに自分のを挟むの。 庭に落としてもいいわ」
「すれ違ったときに、顔は見えるね」
「ええ、わずかな間だけど」
スコットは悲しそうに微笑んだ。
「それでも、全然会えないより遥かにいいよ」
もう一度激しく抱き合って、ふたりは身を切られる思いでひとまず別れた。 柵の上から道をうかがい、人影がまったくないのを確かめて、スコットはすっかり慣れた様子で乗り越え、足取り重く歩き出した。
角を曲がり、道路を横切ったところで、不意に男が二人、スコットの前に立ちふさがった。 歩みを止めたスコットは、怒りを含んだ冷たい眼差しで、二人を順番に見渡した。
「なんだ。 疲れてるんだよ。 通してくれ」
「何のお疲れだか」
口にくわえていた煙草をプッと吐き捨てると、黒っぽい縁無し帽を被った若者が、口をゆがめて笑いかけた。
「話があるんだよ、スコッティー」
「今夜はよしてくれ。 また明日でも」
「おっと逃がさねえよ。 ハリー、こいつの腕借りな」
「ほいきた」
両側から無理やり腕をとると、二人の若者はスコットを近くの薄暗い小路に連れていった。
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