心の連鎖 33
その手紙は一見してただものでないとわかった。 包装紙のような茶色のごわごわした紙に、新聞から切り取った文字が不ぞろいに並んでいる。 しかも書かれていた内容は……
「コートニー嬢を預かった。 無事に返してほしければ、今日の午後八時、ケンジントン通り二丁目の公園に三百ポンド持ってこい。 必ず一人で来ること」
ロジャーが低く読み上げた文面に、トリシーは馬車の中で思わず立ち上がろうとして、天井に頭をぶつけてしまった。
「いたっ。 どういうこと? フィリスがなんで……」
「学校へ問い合わせよう」
「私も行くわ」
「君は座っていなさい。 どっちみち、すぐ出かけることになる」
あっという間に馬車を降り、屋敷内に姿を消した夫を、トリシーはじりじりと焼ける思いで見送った。
十分後、玄関の石段に出てきたロジャーの顔は、暗く沈んでいた。 その表情を見たとたん、トリシーは言われなくても学校側の返事を悟った。
ロジャーが重い足取りで乗り込むと、馬車が揺れて乾いた音を立てた。
「フィリスは昨夜から行方不明だそうだ。 学校は今までこっそり探していたらしい。 監督不行き届きだと責められるのが怖かったんだろう」
「昨夜から……!」
トリシーは喉が詰まった。
「まだ十七歳の……」
「間もなく十八だ」
「それでもまだ二十歳にもならない娘が消えたのに、保護者に知らせないなんて!」
馬車を出すように命じると、ロジャーは両手を首の後ろで組んで背後に寄りかかった。 眉間に深い縦皺が入り、下唇は噛みしめられていた。
そのままの姿勢で、唸るようにロジャーは呟いた。
「フィリスを最後に見たのは夜の六時ちょっと過ぎらしい。 ゆうべロンドンはひどい霧で見通しがきかなかった。 しかもフィリスの部屋からはコートと財布が消えていた」
「つまり」
「そうだ。 あいつ自分から出ていったとしか思えない」
とたんにトリシーはむきになった。
「フィルがこの誘拐を仕組んだとでも? そんな子じゃないわ。 何かでお金が欲しかったら、きっと私に相談してくれるはずよ」
「ロンドンに行けば詳しくわかるだろう。 そうだ、フィリスには友達がいた。 アマンダ・レイシーという娘だ。 あの子なら事情を知っているかもしれないぞ」
「そうね。 早く行きましょう」
トリシーはかすかに身震いした。 狂言ならまだしもだが、本物の誘拐だったとすると命にかかわるかもしれないのだ。
「フィルが犯人の顔を見ていないといいんだけど」
声が知らずに細くなった。
急行列車に乗って一時間半。 夫妻は窓の外を飛び去っていく景色が普段よりはるかに遅いような気がした。
やっと中央駅に降り立っても焦燥感は続いた。 雇った辻馬車は渋滞に巻きこまれ、そう離れていない学校へ行くのに四十分以上かかった。 歩いていったほうが早かったぐらいだ。
だが、できるだけ急がせて着いた学校には、いいニュースはなかった。 石のような顔で出迎えた校長と教頭は、フィリスが自分の意志で出ていったことを盛んに仄めかした。
「夕食を控えたあの時間帯にコートを着るなんて尋常じゃありません。 庭に出たか、または自分から外に行ったとしか」
「証拠は?」
「いえ、そこまでは……」
「警察に知らせましたか?」
ロジャーが畳みかけると、二人の先生は眼を見交わした。
「いえ。 お宅の体面を考えまして、まだ」
いくらかロジャーの愁眉が開いた。
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