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心の連鎖 42


「いや!」
 フィリスはかすれた声で叫んだ。
「私は彼と……」
「その彼がここを知らせてきたのよ」
 トリシーの声はあくまでも穏やかだった。
「あなたは駆け落ちのつもりでも、彼はそうじゃなかった」
「じゃ何なの?」
 フィリスの声には涙が混じりかけていた。
「私達は一緒に暮らしたいだけだった。 どんな苦労でもするつもりだったわ。 お兄様たちに迷惑なんかかけないのに」
「五百ポンドが迷惑じゃないと言うのか?」
 ロジャーの強い語調に、フィリスは目を見張った。
「五百ポンド……?」
「そうだ。 おまえの彼はうちにこんなものを送りつけてきたんだ」
 ふところから封筒を出すと、ロジャーは妹にぶつけるようにして手渡した。

 中から取り出したごわごわの紙を、フィリスはしばらく見つめていた。 最初は意味がわからなかった。 必死に気持ちを集中して一字一字たどって、ようやく内容が頭に染みこんできた。
 しびれた手で、フィリスはその紙片をテーブルに置いた。 彼女が何も言わないので、表から回って部屋に入ってきたトリシーのほうが気を遣って口を出した。
「彼はあなたに何も気付かせなかったのね。 最後まで大事に扱ってくれたんだわ。 だから」
「よしなさい」
 ロジャーが断ち切るように言った。
「犯罪者は犯罪者だ」
「ちがう」
 うなだれたままのフィリスから、思わぬ言葉が飛び出した。
「事情があったのよ。 彼は悪くない」
「まだそんなことを!」
 ようやく頭を上げ、激怒した兄の顔を恐れずに見返して、フィリスはきっぱりと言い切った。
「私は彼を信じる。 必ず迎えに来てくれるって、神に誓って信じるわ!」


 駅へ向かう馬車の中は静まり返っていた。 兄と妹の冷たい戦いに、さすがのトリシーも取り付くしまがなく、手提げの紐をゆるめて中身を確認したり、所在なく外の景色に目をやったりしていた。
 フィリスはじっと足元を見つめていた。 まったく顔を上げようとしない。 ロジャーはロジャーで妹を睨み続けていた。 ちょっとでも目を離したら、羽を生やしてろくでなし男の元へ飛んでいってしまうかのように。


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