心の連鎖 48
ロッティーの目には、フィリスがとても落ち着いているように見えた。 彼女は帽子をほどき終わり、そばのテーブルにそっと置いた。 手が震えることはなく、表情も変わらなかった。
「それで?」
ロッティーはもじもじした。
「ええと、旦那様は奥の書斎へ通されました。 でも十五分ぐらい話して、すぐお帰りに」
初めてフィリスの頬にわずかな動揺が走った。
「帰った?」
「ええ」
そこでロッティーは、わけありげにフィリスににじり寄った。
「でもまだ五分と経ってません。 追っかければどこかその辺にいるかも」
ほんの一瞬、フィリスは迷った。 わざわざ鉄道の駅から馬車で半時間はかかるこのガーランド屋敷まで来て、たった十五分しかいなかったスコット。 ロジャーが彼を未だに許していないのはわかるが、それでもせめてフィリスに会えるまで粘る気概はなかったものか。
だがすぐに、フィリスは心を決めた。 五年前に一度はあきらめた人だ。 今度の意外な訪問がどんな目的であっても、心が揺れ動かない覚悟はできていた。
彼の口からじかに聞きたかった。 別れた事情と、その後の日々を。 そして何よりも、彼を見たかった。 見て、確かめたかった。 五年前、恋に曇っていた眼では、もしかすると見えなかった彼の素顔を。
再び帽子を手にとって被り直しながら、フィリスは早口でロッティーに尋ねた。
「彼はどっちへ行った? 正門の方?」
そこならフィリスが戻ってくるとき見えたはずだった。 ロッティーはちょっと考えて首を振った。
「そう言えば、庭を向こうへ歩いていったみたいです」
「ありがとう!」
その声がまだ空中にただよっているうちに、フィリスの足は裏口から飛び出て、敷石の上をすべるように走り去っていった。
台所の廊下側の戸口から、トリシーが顔だけ覗かせた。
「行った?」
ロッティーは息を弾ませて答えた。
「はい、奥様! でも、いいんですかね、行かせちゃって。 後で旦那様に知れたら」
「いいのよ」
トリシーは平然と答えた。
「あの子たちは五年も離れ離れだったのよ。 これ以上待たせたら、二人ともカビが生えちゃうわ」
広い庭を急ぎ足で行っても行っても、スコットの後ろ姿は見えなかった。 裏庭の外れが近づいてきて、フィリスは半ばあきらめ気味になった。 彼が裏口のほうに馬車を待たせてあったら、もうとっくに乗り込んで駅に向かっているだろう。
確かめるのが怖くなった。 フィリスは歩く速度を緩め、やがて立ち止まった。
そのとたん、自分でも信じられないほどの哀しみが襲ってきた。 きっぱり思い切ったつもりだったのに、自分でも見えない心の奥底で、やはりフィリスはスコットを待っていたのだ。
「せめて、さよならぐらい言ってよね」
声にならない呻きがせりあがってきた。 もう道まで行く勇気がなく、フィリスは首を垂れて回れ右しようとした。
そのとき、音が聞こえた。 かすかな、調子っ外れのキーキーという音が。
それが、古い裏木戸のきしむ音だということに、ちょっとの間フィリスは気付かなかった。 失意のどん底でこの屋敷に戻ってきてからは、木戸に乗って漕ぐなどという無邪気ないたずらをする気なんか無くしていたのだ。
フィリスは耳をすませた。 音はまだ続いていた。 マッカラムの悪ガキか下働きの子供がやっているのかもしれない、期待しちゃだめだ、と自分に言い聞かせながら、それでもフィリスの足は勝手に動き出した。
太い樺の木を回ると、裏口が見えてきた。 そこには、こんな大きな屋敷には不釣合いなほど低くて小さい両開きの木戸がついていた。
その片方の戸に、山高帽を被った若い男が掴まっていた。 下の桟に足を乗せ、コートの裾を揺らして、小舟に乗っているようにゆっくりと動かしていた。
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