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黄金の日輪を越えて

第4章 幼なじみ
エイサッと絨毯をロープに引っかけると、エレは後ろを振り返って叫んだ。
「これでいい?」
石鹸だらけの手をエプロンで拭きながら、マルゴが顔をのぞかせた。
「だめ! 裏返して! 表を日に当てると色がさめちゃう」
「めんどくさいな」
ぶつぶつ言いながらも、エレはたっぷり水を含んで普段の3倍の重さになった小絨毯を引き下ろし、裏に返した。 笑いながら、マルゴは中庭の洗濯場に戻っていった。 またロープに投げ上げようとして身構えたとき、背後から手が伸びて、すっと絨毯をかけてくれた。 驚いて振り向いたエレの顔が、ぱっと明るくなった。
「フィリップ!」
「久しぶり、エレ」
身をかがめて、エレの頬に挨拶のキスをしたのは、上等な服を着た少年だった。 焦茶色の巻き毛に、くりくりした褐色の眼が愛らしい。 ハンサムとまでは言えないが、人好きのする顔立ちだった。
少年の着ている濃緑色のボレロと半ズボンをながめながら、エレは首を振った。
「それが町ではやっているスタイル? 飾りが多くて動きにくそうだね」
「これでもおとなしい方なんだ。 町じゃすごいよ。 レースを何リーグも使って飾りまくるんだ」
「もったいない!」
エレは溜め息をついた。
「トーションレースを編むのにどれぐらい時間がかかるか、わかってるのかな」
「リヨンの町にはレース職人が何百人っているんだって。 作るそばから売れるそうだよ。 父様の友だちが仲買をやっていて、もうかって笑いが止まらないって」
エレは横目でフィリップをにらんだ。
「おたくの親父さんは商売うまいもんね。 友だちもみんな目先がきくんだろうね」
フィリップは苦笑し、きょろきょろと辺りを見回した。
「マルゴは?」
「洗濯場。 呼ぼうか。 マルゴ、マルゴ!」
「なに?」
籠一杯に洗濯物をかかえて、重そうな足取りでマルゴが家の角を回ってきた。 急いでフィリップがその籠を受け取り、マルゴにほほえみかけた。
「やあ、マルゴ」
ジルベールから聞いていたので、マルゴは驚かずに微笑を返した。
「フィリップ、お帰りなさい」
「今朝はマリーはいないの?」
マリーとは洗濯女の名前だった。 マルゴは首を振った。
「子供が熱を出して、看病してるの」
「そうか。 じゃ、僕も干すの手伝うよ」
「いいのよ。 未来の侯爵が洗濯物なんて」
とたんにフィリップは悲しそうになった。
「あれ、のけものにするの? ずっと一緒に遊んだ仲じゃないか。 ままごとだって石けりだって」
「戦争ごっこもね。 あんたいつも泣いてたじゃない」
エレが意地悪そうに口を挟んだ。 フィリップがふくれっ面になると、マルゴが笑いながらなだめにかかった。
「子供のときは小さかったものね。 エレは山猫みたいに強かったし。 でも大きくなったわねえ、フィリップ。 とうとう私を追い越しちゃったね」
「うん」
フィリップは自慢そうに胸を張った。 とたんにエレがむきになって叫んだ。
「ジルの方が高いよ! 私より手のひら2つ分高いもん!」
「比べてみようぜ」
フィリップはいつになく強気で、畑の方に歩き出そうとした。 その袖をマルゴが掴んで引き止めた。
「行ってももういないのよ。 学校に戻ったの」
「へえ。 じゃ、僕と入れ違いか」
「ねえ、どうしてこんな時期に帰ってきちゃったの? 停学?」
「ちがうよー、エレ」
フィリップは赤くなった。
「父様が見聞を広めろって」
「学問より商売が大事か」
ずけずけ言うエレを、マルゴが目でたしなめた。
「さあ、手伝ってくれるなら早く干しちゃいましょう。 日が高くなる前に」
すべての洗濯物を干し終わって、若者たちは涼しい森の中に移動した。 節くれだった木の幹に寄りかかって、フィリップはさわさわと葉を鳴らす梢を見上げた。
「ここは気持ちいいな。 町はほこりっぽくて熱いんだ。 道は注意して歩かないと馬の糞だらけだし」
「でも楽しいことも多いんでしょう?」
切り株に腰をかけたマルゴが尋ねた。
「そうだね。 ここには酒場と雑貨屋ぐらいしかないけど、街には芝居小屋や本屋や、レストランもあるよ。
それに、広場ではいろんな見世物をいつもやっていて、年中お祭りみたいなんだ」
枝を振り回して虫を追っていたエレが振り返った。
「一年中お祭りじゃ飽きちゃう」
「出し物がいろいろちがうんだよ」
フィリップは、ちょっとずるそうな微笑を浮かべて、懐から何かをもったいぶって取り出した。
「こんなのも売ってるよ。 田舎じゃ手に入らないだろう?」
それは、繊細な飾りのついた大き目のロケット・ペンダントだった。 小さな突起を押して、フィリップは蓋を開けて見せた。
「ほら、ここに肖像画なんかを入れるんだ。 親とか、恋人の」
たちまち二人の少女は好奇心いっぱいに覗き込んだ。 根っから田舎が好きで、どんなものでも田舎が一番と言い張るエレも、さすがに眼を輝かせて眺めていた。
「きれい!」
「だろ?」
得意になって、フィリップは懐から全く同じロケットをもう1つ取り出し、二人にそれぞれ手渡した。
「はい、僕の大事な幼友だちに」
「ありがとう」
さっそくエレはパチンパチンと開け閉めしはじめた。 マルゴはそっと金色に輝く表面を撫で、もつれた鎖を整えた。 フィリップが小声でマルゴに言った。
「かけてあげようか?」
「うん、お願い」
うれしそうに、フィリップはマルゴの後ろに回り、留め金をかけると、また前に来てじっと眺めた。
「似合うよ。 きれいだ」
「マルゴは女らしいもんね。 長いスカートが大人みたいによく合ってる」
「エレだって、着れば似合うよ」
フィリップが真面目に言うと、エレは吹き出した。
「やだね! そんな服、脚にまとわりついて、木に登れないよ」
「たしかに」
フィリップも笑った。 小さいときからエレ、つまりエレーヌ・ソフィア・ド・サンマルタンは、背丈以外のすべてで圧倒的な娘だった。 男の子を投げ飛ばすほどの運動神経と気性の激しさ、打てば響く頭脳の明晰さ。 そして、今は意識的に隠しているが、信じられないほどの美貌の持ち主でもある。 幼児の頃からこの《女王さま》にこき使われて、フィリップはすっかりエレのしもべと化し、そんな自分を不思議に思わなくなっていた。
「エレ! マルゴ! どこにいるの?」
やわらかい呼び声が聞こえてきたので、マルゴは急いで立ち上がり、エレもズボンの汚れをはたいて叫び返した。
「今行きます、母様!」
「じゃあね」
「うん、またね」
フィリップが手を振ってから森の小道を抜けていくのを、少しの間見送った後、二人の少女は手を握りあって走りだした。
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