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黄金の日輪を越えて

第5章 真相
五月にジルはナントの修道院付属学校に復帰し、サンマルタン子爵は新しい下男を雇って、畑の手入れに余念がなかった。
そしてその六月の日・・・エレは朝からわくわくしていた。 半ズボンをつくろって穴を塞ぎ、きれいに洗ったシャツを着て、ぴかぴかに磨き上げた馬に乗ると、
「まるで恋人に会いにいくようですな」
と、ローゼンにからかわれて、いくらか頬を赤らめた。
「ばか! 弟を迎えに行くんじゃないか」
「無理に行かなくても、旦那様が連れて来るんだから」
「早く見たいんだよ!」
ローゼンはあきれたように首を振ったが、それでもやっこらさと自分も馬にまたがった。
十時に一階の掃除を終えたマルゴは、母のイヴォンヌに尋ねた。
「エレは?」
つくろい物をしていたイヴォンヌは顔を上げた。
「新しく来る赤ちゃんを迎えに行ったわ」
「ショーヴ村まで?」
「そう。 あの子ったら、見かけは男の子みたいなのに、赤ちゃんには目がないんだから」
母の傍に腰を下ろして、マルゴは針に糸を通してあげた。
「はい」
「ありがとう。 最近目がかすんできて」
「今度引き取る子は、どこの子?」
イヴォンヌの表情が暗くなった。
「サヴォワ近くの貴族の子よ。 生まれた直後はみんなに喜ばれたんだけど、父親の男爵が落馬事故で亡くなったとたんにお家騒動に巻き込まれてね」
マルゴはうなずき、しばらくうつむいてエプロンを折ったり広げたりしていたが、思い切って言い出した。
「あのね、オーセさんの家に手伝いに行っていい? 長女のミネットが結婚して、人手がいるんだって」
母は難しい顔になった。
「どうして? あなたが外で働く必要なんかないのよ。 そりゃ、うちは貧しいけど食べるのに困るほどじゃない。 それより、ここで家事をやってくれるほうがずっと助かるわ」
「わたしね」
不意にもやもやした胸の内をさらけ出したくなって、マルゴは母の手を掴んだ。
「ここにいちゃいけないって気がするの」
「なぜ!」
イヴォンヌは大きく目を見張った。
「あなたはここの子! 生まれ落ちるのとほとんど同時に絹の産着にくるまれてここに来たのよ。 大きな濡れたような黒い眼で……あんなにかわいい赤ちゃんは見たことがなかった!
女の子は初めてだったから、育てるのがうれしくて、毎日顔をのぞきこんでは話しかけたのよ。 マルゴ、よく来てくれたわ、丈夫に育ってねって」
たまらなくなって、母が縫い物をしているのもかまわず、マルゴは両腕を伸ばして固く抱きしめた。
「あぶない! 針がささる!」
「母様」
涙声でささやく娘に、イヴォンヌはそっとキスした。
「あなたが引け目を感じているなら、大きなまちがいよ。 これまで話さなかったけど、私たち夫婦は慈悲の心で3人を引き取ったわけじゃない。 ほしかったから、必要だったからもらってきたのよ。
10年待ち望んで、子供ができなかった私は、泣き暮らしていたの。 私を夢中で愛してくれ、私のために新教に改宗までしてくれたヴィクトールの子を産めないなんて。 神さまをうらんだことさえあった。
そんなとき、裏口に女の人が倒れていたの。 行き倒れで、死にかけていた。 顔に見覚えがあったわ。 エラン侯の愛人だった。 その人が必死で抱いていた子がジルベールよ」
母の肩にもたれて話を聞きながら、マルゴは眼をつぶった。 心がじんじんと痛んだ。
「ジルを育てているうちに、ヴィクトールと私は前にもまして寄り添うようになった。 エラン侯はヴィクの従弟だから、少しは血がつなかっているし、それに何よりも、家に子供の声が響くのがうれしかったの。
だから、あなたとフィリップをすり替える計画を聞いたとき、絶対うちで育てると、ヴィクトールに念を押したのよ」
ぎゅっと娘を抱きしめてから、イヴォンヌは大きく腕を広げて深呼吸した。
「その結果は、ほら、この通り。 三人とも最高の子に育ったわ。 きれいで、賢くて、思いやりがあって! 私は幸せ者!」
「私たちこそ」
マルゴは低い声で言った。 涙があふれて耳の横を熱く伝っていった。
「父様と母様がいなかったら、私は容赦なくロワール河に捨てられていたわ。 ヌビア人の近衛隊長との不義の子なんて」
イヴォンヌはもう一度マルゴの頬にやさしくキスした。
「でもね、マルゴ、あなたのお母様は彼を、彼だけを愛していたのよ」
はっとして、マルゴは顔を上げた。
「え?」
「あなたはもう十五歳になったから、何があったか話すわね。
エラン侯の悪口なんか信じちゃだめよ。 お母様は浮気したんじゃない。 舟遊びの最中に誘拐されたの。 あなたも知ってる通り、海はイスラム教徒たちに支配されていて、そのうえ海賊もたくさんいて、とても危険なの。
でもハーレムに売られないですんだのは、そのハジム・ビン・マハド隊長が守ってくれたからなのよ」
「ハジム・ビン・マハド……」
初めて聞く、実の父の名前だった。
「男らしい人だったって。 浅黒い肌に、大きな眼が宝石のようにきらめいて。 見かけがいいだけじゃなく、アラビア語、フランス語、ギリシャ語を話せる、大変教養の高い人だったそうよ。 しかも紳士で」
イヴォンヌの眼が夢見るようにかがやいた。
「修道院でその話を聞いたときは、私もまだ若かったから、胸がどきどきして、彼にあこがれてしまったわ。
マハド隊長はあなたのお母様を海賊から救った後、愛し合うようになったの。 でもサルタンの命令で、捕虜交換でフランスに返さなきゃならなくなって…… ぎりぎりまで船の上で抱き合っていたそうよ。 そのときの熱い肌触りが忘れられないって、お母様は泣いていたわ」
驚くべき話だった。 エラン侯はたまにマルゴに会うと、ふいっと視線をそらして無視するか、口をゆがめて皮肉を言うかのどちらかだったが、話しかけるときは決まってこう付け加えた。
「誰も欲しがらなかった子」
でも、そうではなかったのだ。
「屋根裏の箱に入っているあなたの産着、あれはあなたのお母様が自分の手で一針一針縫ったものよ。 怒ったエラン侯に殺されるかもしれないとわかっていて、それでもあなたを産んだ。 産まずにはいられなかった。 愛するひとの忘れ形見だから」
マルゴの髪を撫で、自分より背が高くなった娘を幼児のようにゆさぶりながら、イヴォンヌは低い声で言った。
「あなたのお母様が、たまたまニ日前に生まれたフィリップとあなたを密かに取り替えることに賛成したのは、脅されたからじゃない。 ヴィクがあなたを大切に育てると約束したからなの。 お母様は女子修道院に入った後でも、あなたのことばかり気にかけていたわ。 つづらにお母様からの手紙があるから、後で見せてあげるわね」
涙にむせびながら、マルゴは小さくうなずいた。
ショーヴ村少し手前で、エレは父の荷馬車を見つけ、馬上から大きく手を振った。 父も振り返してきたが、笑顔がなかったので、エレは妙な気分で馬を走らせた。
「お帰りなさい!」
黒い帽子を取って頭をかいた後、ヴィクトールは元気のない声で言った。
「エレ、赤ん坊はいない」
「いない……?」
ヴィクトールは重い溜め息を一つついた。
「着くのが一足遅かった。 子供はもう……」
しんとした暗い沈黙が辺りを支配した。手に口を当てて下を向いてしまったエレを見て、ローゼンがそっとささやいた。
「運命です」
「でも……でも、あんまりじゃないか! 引き取って育てると言っているのに、その前に勝手に!」
「それだけ邪魔だったのでしょう」
容赦なく言って、ローゼンは馬を返した。
エレはきっとした眼差しでその後ろ姿をにらんだが、内心ではわかっていた。 ローゼンは正しい。 しかし、正しいからこそやりきれなかった。
村に働きに出るのはあきらめたマルゴだったが、友だちの家に手伝いに行くのはかまわないだろうと、母に許可を求めた。 イヴォンヌはしぶしぶ許したが、何度も念を押した。
「夕方には帰ってくるのよ。 必ず明るいうちに」
「わかったわ」
マルゴはいそいそと籠を取り、戸口から出て行った。 それは、午後一時ごろのことだった。
四時半になって、マルゴはお礼のパンで埋まった籠を重そうに手に下げて、森に入った。 その直後、不穏な音が風に乗って響いてきた。 マルゴは素早く、ぎっしりと繁ったベリーの茂みに飛び込んで、とげに引っかかれるのもかまわず、頭を下げて丸まった。
音はみるみる近づいてきて、はっきりと聞き取れるようになった。 だらしない足音、下品な笑い声、そして、むりやり引きずられていく山羊の哀れな鳴き声…… 茂みの横に酒壷が投げ入れられ、鈍い音を立てた。
マルゴは首をすくめ、いっそう体を低くした。 さいわい、男たちは人の気配に気づかず、下品にわめきちらしながら遠ざかっていった。 ほっとしたマルゴが立ち上がり、髪を包んだスカーフや、体に巻きつけたマントから、ベリーの枯葉を払い落としていると、突然腕を掴まれた。
心臓が凍りついた。 脚が萎え、動こうにも動けなくなった。 注意が足りなかった。 今しがたどこかの農家を襲ったばかりらしい脱走兵たちは、二手に分かれて歩いていたのだ。 その後続に、マルゴは発見されてしまった。
もじゃもじゃと髭を生やした中年男の口が、にやりと笑った。
「お、けっこうそそる顔してんじゃねえか。 こっち来い!」
一声も発せないうちに、マルゴは荒々しく茂みから引っ張り出され、男の肩にかつぎ上げられた。 男は哄笑しながら、荷物のようにマルゴを軽々と運んでいった。
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