目次

黄金の日輪を越えて

第11章 別れ
翌日、エレはマルゴに服を借りた。背丈が違うので、スカートをだいぶ上げなければならなかった。 うるさい客たちがいなくなったので、エレはのんびりタンタンと遊びながら、素早く手を動かして裾を上げた。
「マルゴ、また背が伸びただろ」
「そうね。 指一本分ぐらい」
「いいな。 私はチビのままだよ」マルゴは針箱を机に置いて、エレの隣に腰掛けた。
「エレだって伸びるわよ。 私より半年若いんだから」
「15と16か」
縫い終わって、歯で糸を切ると、エレはぼんやりした仕草で針山に針を刺した。「マルゴ」
「ん?」
「私たち、いつまでも一緒にいようね」
マルゴの眼が上がった。 そして何か言いかけたが、気を変えて、そっとうなずいた。「そうね。 いつまでも仲よくしようね」
大きなボネットをかぶり、灰色の地味な服を着て、エレはレンフラール城の裏庭に現れた。
大きな厩舎の内外で、馬丁たちが忙しく働いている。 エレは庭の端でその一人を捕まえて、小声で頼んだ。「ジャンに会いたいの。 どこにいるかしら」
男は、垂らした髪で隠しても可憐なエレの顔をのぞきこむようにして、にやにやした。「ジャンね。 それだけじゃ、何人もいるからわからないね」
「黒い髪に焦茶色の眼。 背が高くて、年はたぶん18か9。 いつも馬と一緒にいる人なの」
馬丁は、少しの間首をかしげていたが、突然腿を打って笑い出した。「ジャンね! そりゃきっと、《兵士のジャン》のことじゃないかな」
彼が一人で喜んでいるので、エレはじれてきた。「何のジャンでもかまわないわ。今どこにいるの?」
馬丁は顎を撫でた。「さてね。 どこだったか」
「意地悪しないで教えてよ!」
せっぱつまったエレの声に、馬丁は笑顔を消した。「わかった。 真面目に答えよう。 《兵士のジャン》に会おうとしても無駄だ。 会いたければ向こうから来るだろうし、来なきゃそれまでだ。 その男は、何というか、人のいいなりになる男じゃないんだ」
言い終わると、これでおしまい、というように馬丁は背を向けた。 仕方なく、エレは厩舎の中をちらちら見ながらわざとゆっくり歩いていったが、確かにジャンの姿はどこにも見えなかった。 会いたければ来る・・・・その言葉に、エレは望みをかけた。 別れたときの、手のひらを返したような冷たさが胸を噛んでいたが、それでもエレは彼を待った。
コンデ公が隣の城に移って3日目、エレがズボン姿に戻って水汲みをしているところへ、フィリップがぶらぶらやってきた。
「よう、エレ」
いたずらっぽく笑いながら、フィリップはエレの肩を叩いた。「わがままを通したらしいね。 レオンはうちにいる間、ほとんど一言も口をきかなかったよ。 あんなに落ち込んでる奴を見るのは初めてだったな」
過去形だ。 エレは心臓を冷たい手で掴まれたような気がした。「フィリップ! 公爵はもう、出発しちゃった?」
「うん」
うれしげに、フィリップはうなずいた。「やっとさっき帰っていった。 結構兵隊が集まったってさ」
エレの呼吸が速くなった。 ちょうどそこにマルゴが現れたので、エレは水桶を押し付け、びっくりしたマルゴに叫んだ。「用を思い出した」
「でも、エレ!」
子鬼のように走っていくエレの後ろ姿を見ながら、フィリップはあきれて呟いた。「変わらないな。 ドレスを着た姿は女神みたいだったと、フランソワは言ってたが」
馬小屋に飛び込むと、エレは一番足の速い《エトワール》という馬に飛び乗って、森に向かった。
どうしてももう一度、ジャンに会いたかった。 このまま別れたら、永久に姿を見ることはないだろう。 たとえ一目でも、初恋の人を心に焼き付けておきたかった。
森の隅々を知り尽くしているエレは、近道を通って船着場に急いだ。 エトワールは風のように走り、半時間もしないうちにエレを森の外れまで運んでくれた。 船着場には人があふれていた。 馬車から荷物を下ろして、平らな船に積み込んでいる。 きらびやかな服には目もくれず、エレは必死で下働きの男たちを確かめていた。 やがて荷積みが終わり、作業していた男たちは3列に並んだ。 にわか作りの兵隊たちなので、きちんと整列できない。 何度もやり直させられて、ようやく形になったのは、半時間もしてからだった。 エレは、森の木に登って、枝の間から目をこらしていた。 しかし、ゆっくり見渡す時間があったにもかかわらず、ジャンの大きな姿は、どこにも見当たらなかった。 やめさせられたんだろうか・・・・涙がにじんで視界がぼやけたので、エレは慌てて目を拭った。 兵隊たちの先頭に、馬に乗った将軍が現れた。 もう出発してしまうのだ。 絶望感に襲われたエレの耳に、風に乗って歓声が響いてきた。「フランソワ・ダンジャン大佐殿、万歳!」
若い将軍が、返礼に剣を掲げた。 エレはしゃくりあげた。 あんまりだ。 最後に一目、見ることもできないなんて… ダンジャン大佐が馬の手綱をあざやかに返して、灰色の馬の向きを変えた。 川面を強い風が吹き抜け、羽根のついた帽子が頭を離れて空中を舞った。 すぐに副官らしき男が馬を駆り、水に落ちる前に受け止めた。 エレの口から、火のような息が吐き出された。 紺のビロードの上着をまとい、銀色の飾りボタンを光らせ、りりしい顔を副官に向けて、今しも飛んだ帽子を受け取ろうとしているのは、《兵士のジャン》その人だった。
「フランソワ・ダンジャン……」
枝を掴んでいた手に、力が入った。 入りすぎて、指先から血がにじみ、細い糸を引いて葉にしたたった。 そんなはずはない。 絶対にあり得ない! 恐ろしい目まいに襲われて、エレは樹上でぐらりとよろめいた。 他の誰だとしても、たとえ国王だとしても、まだ納得できる。 だがフランソワだなんて、絶対そんなはずは……「だってフランソワは……フランソワは、レオンの兄さんじゃないの……!」
放心してそうつぶやいた瞬間、エレの意識が飛んだ。 ずるずると幹をすべり落ちて下草に埋もれた少女に、気づく者は誰一人いなかった。
背景:Kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved