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黄金の日輪を越えて

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第14章 交流



 マルゴを救った金髪の少年は、初めのうち、本当に無口だった。  したがって、普段はエレの話の聞き役に回っているマルゴが、せっせとしゃべることになった。
「それでね、リュシールが先生の言いつけでハーブをつんでいたら、後ろから山羊にどんと押されて転んじゃったの」
 少年は息だけでクックッと笑った。 ほんとにおとなしいなあ、くすぐったら声を出して笑うかしら、と、マルゴは妙なことを考えた。
 やがて日がかげって空模様があやしくなってきたので、二人は石段から立ち上がった。 女子修道院の塀の前にたどりつくと、ジュール少年は両手の指を組み合わせて腕の輪を作り、マルゴに足を載せるよう促した。
「道からだと塀が高くなってるから、持ち上げてあげるよ」
 ちょっとためらったが、マルゴはジュールの好意を受けることにして、その手のひらに片足をかけた。 ジュールは軽々とマルゴの体を持ち上げてくれ、おかげで簡単に塀を越えることができた。
 中に入ってから、マルゴは崩れた隙間から顔を出してささやいた。
「ありがとう」
 ジュールは長身をかがめて、マルゴの眼と視線を合わせた。 やわらかくカーブを描いた長い睫毛が、真っ青な眼を縁飾りのように囲んでいた。
「また会ってくれる?」
 マルゴは少しの間無言だった。 どんなに遠慮深く、物静かでも、男の子は男の子だ。 今持ち上げてくれてわかったように、見かけよりずっと力が強い。
 答えに困っているマルゴを見て、ジュールの表情が暗くなった。 悲しげな眼を見たとき、マルゴは断ることができなくなった。
「それじゃ、会っても大丈夫なときは、あの木にスカーフを結ぶわ。 あなたの部屋から見えるでしょう? それで、都合がよければ、この裏庭に来て。 こんな隅っこまでは誰も来ないから」
 たちまちジュールの顔がぱっと輝いた。

 こっそり裏口から廊下に入ったマルゴは、たちまちエレに見つかって、部屋に引っ張り込まれた。
「おそい!」
「うん」
「熱出してここで寝てることになってるんだからね」
「ありがと。 ごめんね」
 口を尖らせて、エレは姉であり親友でもある浅黒い美少女をにらんだ。
「相手は野郎でしょ? ちょっと心配したよ」
「たしかにや……じゃなくて男の子だけど、羊のように、ううん、ウサギのようにおとなしいの。 それに肋骨が見えるほどやせてて……」
「肋骨!」
 エレの眼が吊りあがった。
「なんで裸なんて見たの?」
「あげた服に着替えたのよ。 シャツがぼろぼろで、中が見えちゃったの」
「……哀れだ」
 エレは考え込んだ。
「マルゴの命の恩人が飢え死にしたらまずい」
 やがて口元ににやにや笑いが浮かんだので、マルゴはちょっと背筋がひやっとした。 こんな顔をするとき、エレはたいていとんでもないいたずらを思いついているのだ。
「いい小遣いかせぎがあるよ」
「なに?」
 にやにや笑いが大きくなった。
「みんなロマンスにあこがれてるの、知ってるよね」
 マルゴはうなずいた。 思春期の娘が近隣各地から集まってくるこの学校では、月夜にセレナーデを歌ってくれる恋人の夢から始まって、秘密の逢引やら、駆け落ちやら、妄想一杯のないしょ話が渦巻いているのだ。
「あの男子修道院の生徒たちに目をつけてる子が、けっこういるの。 手紙を書きたいんだけど、どうやって届けるかがね」
「ああ」
 マルゴはエレの企みを悟った。
「ジュールに持っていってもらうのね」
「ふうん、ジュールって名前か」
「そう、苗字は知らないけど」
「向こうも知らないんだろ? その子、ジルにそっくりなんだって?」
「信じられないほど似てるの」
 エレはそれ以上興味がないらしく、話を戻した。
「ここ金持ち娘が多いから、手紙のやりとりができたら、相当な手間賃になる」
「大丈夫かな。 ほんとに駆け落ちしちゃったりしたら」
「人の気持ちは抑えられないよ」
 エレの声は、心なしか冷たかった。

 三日後の午後、マルゴは例の木の枝に青いスカーフを結びつけた。 すると十分もたたないうちに、軽い衣擦れの音がして、ジュールが塀を乗り越えてきた。 二人は微笑み合った。
 今は使われていない倉庫の壁に、二人は並んで寄りかかった。 そこだと日陰で晩夏の日差しを受けずにすむ。 それに、どこからも見えにくく、安全だった。
「授業は大丈夫?」
「前にも受けた講義だから。 もう三年あそこにいるんだ。 他に行くところがなくて」
「お坊さんになるの?」
 ジュールは形のいい唇を噛みしめた。
「そのつもりだったけど、許可が出ないんだ」
 どういうことだろう。 マルゴにはよくわからなかったが、あまり根掘り葉掘り訊くのはよくない気がした。
「あ……あのね、 友だちからちょっと頼まれたんだけど」
 きれいに丸められてリボンまでついた手紙を、マルゴはおずおずと見せた。
「ええと、ジャン・ピエール・ダングレって知ってる?」
 ジュールは微笑した。
「顔は知ってるよ」
「その人に渡してくれたら、これを……」
 ふところを探って、マルゴは小さなイヤリングを出した。
「お礼にって」
 ジュールはちらっとマルゴを見た。
「僕と会うって、その友だちに言ったの?」
 マルゴはあわてて首を振った。
「誰にも言ってないわ。 ただ、同じ部屋の妹に話しただけ」
「妹?」
「そう。 一緒に来てるの。 みんなに好かれてて、いろんなことで頼られてるの。 これもその1つ。 あ、でも、嫌だったらいいのよ」
「嫌じゃないよ」
 静かに言って、ジュールは手紙と宝石を受け取った。 そして、真珠のイヤリングを手のひらにのせて眺めながら言った。
「二つ揃ってる。 君の妹さんは思いやりがあるんだね」
 マルゴはどう答えたらいいかわからず、うつむいてしまった。 ジュールは低い声で続けた。
「僕に仕事をくれたんだ。 ちょっと変わった形で」
 この人は鋭い・・・・マルゴはふと、ジュールとエレは似合いのカップルになるのではないかと感じた。 美しさの点ではまさにぴったりだ。
「妹に会いたい? それなら連れてくるけど」
「いいや」
 不思議なほどきっぱりと、ジュールは言った。 そして、まっすぐにマルゴの眼を見た。
「会いたいのは君なんだ」
 そう言い切った直後に、首筋から額まで、ぱっと紅潮した顔は、これまで以上に美しく見えた。



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