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黄金の日輪を越えて

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第24章 変身



 新しくもらった宮中の部屋は快適だった。 エレは屋敷から侍女たちを呼び寄せ、気ままに暮らしていた。 残念ながらレオンは使者としてイギリスに行ってしまい、当分帰ってこないので、エレは手ぐすね引いて復讐のときを待っていた。
 思ったとおり、宮殿は退屈しない場所だった。 火・木・土の夜には夜会やコンサート、芝居などが催され、美しいエレはどこに行っても引っ張りだこだった。
 自然、身の回りに気を遣うようになった。 流行の服を作る仕立て屋、髪を結ってもらう美容師、宝石商、靴屋、香水屋、家具屋、占い師……などなど。 宮中へ上がるのは、気を遣うし金も使う、とエレはつくづく実感した。
 そんなある日、エレが鏡に向かって化粧していると、小柄なめかしこんだ姿が入ってきた。 王の弟フィリップ・ドルレアンだった。 エレは一応立ち上がって礼をした。
 陽気な国王ルイとちがって、王弟フィリップはどこか得体の知れないところがあって、同じ兄でもエレはあまり好きではなかった。
 王弟もエレに礼を返し、細い声で言った。
「折り入って相談なんだが、君はとてもいい香りの香水を使っているね」
 だからどうした、と言いたかったが我慢して、エレは低く答えた。
「故郷をしのぶため、山百合の香りを調合してもらっています」
「それを分けてもらえないかな。 ほしがっている人間がいるんだが」
 まさかあんたじゃないだろうね、とエレはうんざりした。 王弟と同じ匂いだなんて、たまったもんじゃない。
「待ってください。 小瓶に移してさしあげますから」
 しかたないので分けてやると、王弟は大喜びで礼を言い、それから扉の外に向かって叫んだ。
「おい、ジュール! もらい受けたよ!」
 ジュールだって? エレはちょっとうれしくなって座りなおした。 だが次の瞬間、上あごに舌が張りついてしまった。
 少しよろめきながら扉から入ってきたのは、奇っ怪なものだった。 桃色の絹地にごてごてとダイヤを散りばめ、帽子には見たこともないほど大きな羽根を差し、赤い踵のついた高靴をはいて、戸口に気だるそうに寄りかかったこのものが、4ヶ月前の《幻の声》なのか! エレは、名城の廃墟を見ているような思いで、背筋が寒くなった。
 何より哀しいのは、それでもこの人が美しいということだ、とエレは考えた。 ジュールは、ゆっくりとエレに頭を下げ、部屋の中に入ってきた。 灯りに照らされると、肌が荒れて艶を失っているのがよくわかった。
 王弟は、はしゃいでジュールに言った。
「ほら、嗅いでごらん。 この匂いだろう? ね、わたしの手柄だよ。 そうだよね」
 王弟が主人に甘える仔犬のような声を出すので、エレは気持ちが悪くなった。 しかし、それはほんの序の口だった。
「よくやってくださいましたね。 これはお礼です」
と言うと、エレや侍女たちの目の前で、ジュールは王弟の顔を手ではさみ、口と口を重ね合わせた!
 エレは、努力して無表情を保った。 これがジルの言っていた《男色》というものなのだろうか。 とすると、この二人は恋人……! だが、キスをしながら、ジュールの青い眼は虚ろだった。 どこも見ていない眼。 情熱など、かけらもなかった。
 二人がもつれ合いながら去った後、エレは考え込んだ。 王の婚礼の日、失意のどん底に叩き落されたジュールの姿が脳裏に浮かんだ。やっぱりあれが原因なのだろうか。 フィリップはいったい何を言ったんだ!
 ともかく、彼は不幸なのだ。 おそろしく不幸なのだ。 あの姿では、宮中の道化になって、いっそう不幸を増すだけだ。 せめて桃色だけは止めさせなければ!

 さっそく次の日、エレは王弟の服を請け負っている仕立て屋に出向いた。 思ったとおり、ジュールもそこで服を仕立てていた。 巧みに話を誘導しながら、エレはさりげなく尋ねた。
「ロメーヌ伯爵(ジュールの称号)は、最近好みが変わったようね。 赤とか、オレンジ色とか、ぱっとしたピンクとか」
 仕立て屋は困った表情になった。
「あの方は、好みなどないようで。 目に入った布を手当たり次第に指差されて、これがいいとおっしゃいます」
 ひどい・・・・エレは頭を抱えた。
「それならお願い。 これからはロメーヌ伯爵が見えたら、青か灰色、それに白のどれかをお出しして。 うまくいったら、私もここで服を作ることにするから」

 それからしばらくの間、エレは注意して、ジュールを見つけ出した。 効果は間もなく現れた。 彼の服はコメディアンからどうにか《奇抜》程度にまでトーンを下げ、風刺詩にうたわれることもなくなった。

 クリスマスが近づいてきていた。 だが今度のクリスマスは、エレにとって祝いの時ではなく、呪いの日々となりそうだった。 この気分の悪さは覚えがある。 3年前と同じだった。 エレは自分の体内に、新しい命の芽生えをはっきりと感じとっていた。
 しかし、今度の子は、愛する人の子供ではなかった。 淫乱な尻軽女、という罵倒が、エレの頭の中をぐるぐると回った。 レオンが自分の罪を認めるわけがない。 かといって、フランソワが認知するなどというのは夢のまた夢だ。 しかし離婚も修道院行きも、国王が許さないだろう。 どうしたらいいんだ・・・生まれて初めて、エレは途方に暮れていた。 こんなとき、マルゴがそばにいてくれたら……
 エレには選択肢は1つしかなかった。 たとえ父親が誰であろうと、産むつもりだ。 ジル、マルゴ、そして誰より自分自身が、祝福されずに生まれた子供だった。 危うく命を拾った自分が、同じ境遇の子供を殺すなんて、絶対にできないことだった。
 選べる道は1つだけだ。 エレは必死に気を張って、ダンジャン侯の居室に行き、ドアを叩いた。 中から顔を出したのは、いつもフランソワに影のように寄り添っている腹心のデュパンだった。
 彼はエレを見ると急いでドアを閉めようとした。 とっさにエレは、足をドアの下に挟んだ。 デュパンは世にも情けない顔をしてエレを眺めた。
「お願いです。 何があっても奥方を入れてはいけないと、きつく命令されているので」
「私はペスト菌じゃないわ」
 にべもなく言うと、エレはデュパンの腹を強く指で突いた。
「取り次がないと大声を出すわよ。 あんたに無理やりせまられたと言いふらしてやる」
「そんな!」
「取次ぎなさい!」
 仕方なく、デュパンは奥へ入っていった。
 3分ほどして、デュパンは渋い顔で現れ、エレを中に通した。 部屋の構造はエレのと同じで、前に控えの間があり、寝室はその後ろだった。
 フランソワは寝室の戸口にもたれていた。 濃い茶色の眼にじっと見つめられて、エレは口が渇いた。 相変わらずフランソワからは何も言ってくれない。 挨拶さえないので、やむを得ず、深く息を吸い込んで、エレは話し出した。
「悪い知らせがあるの」
 フランソワの唇がゆがんだ。
「いい知らせなんて持ってきたことあるか?」
 皮肉にはかまわず、エレは一気に続けた。
「2月に子供が生まれるわ」
 フランソワの右手がゆっくり動き、左の手首を握りしめた。 指が白くなっていくのを見ながら、エレは最後まで言い終わった。
「体が目立つまでにどこかへ行きます。 できれば故郷に帰りたい。 生まれた子は預けて、育ててもらう」
「だめだ」
 そう言われると予想していた。 殺されるかもしれないと思った。 言うだけのことは言ったので、エレは向きを変えて出ていこうとした。
 フランソワは身を翻して、妻の前に立ちふさがった。 そして、妙にはっきりした声で言った。
「屋敷へ行け。 あそこで産み月までおとなしくしてろ。 国王にはわたしから話す」
 エレは棒立ちになった。
「それはどういうこと……」
「うるさい!」
 いきなり怒鳴られて、エレは思わず首を縮めた。 フランソワは荒々しく言葉を継いだ。
「いちいち言い返すな。 たまには素直にはいと言え!」



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