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黄金の日輪を越えて

第28章 暴挙
また春が巡ってきて、マルゴは21歳になった。 柳のようにしなやかな体は目に快く、低く上品な声には一度聞いたら忘れられない甘さがあった。 本人はひっそりと隠れているつもりでも、これでは周りがほうっておかない。 奥で皿洗いだけしていたのが、店を手伝うよう呼び出されることが度重なって、レストランの看板娘になってしまった。
これは、マルゴにとってうれしくない事態だった。 レストランの主人ジェラールは、マルゴ目当てに若い男が列を作るので大喜びだったが、いくら誘われても、降るように贈り物を押しつけられても、マルゴには応えることができないのだった。
ところが逆に、あの娘は身持ちが固いと評判になって、人気は上がる一方だった。 誰がマルゴを落とすかと、賭けまで行なわれる騒ぎで、マルゴは本当に困り切った。
「賭け率が40対1になったそうだ」
「止めてください」
開店前、せっせとテーブルを拭きながら、マルゴはしかめっ面をした。 ジェラールは指を振ってみせた。
「いいじゃないか。 給金を2倍に増やしてやったろう? こうなったら率が百対1になるまで恋人を作らないでおきな」
「作りません! 賭け率なんか関係なく」
騒がれるのは困るのだった。 前は庶民の若者が客層だったが、最近はちらほら貴族の姿が目立ち始めた。 思わず殴ってしまったあのチビ貴族に見つけられたら、と思うと、マルゴは夜も眠れなかった。
思い切ってそのことをジェラールに打ち明けると、彼は少し考えて提案した。
「そうか、それなら、サンジェルマンを入ったところにもう一軒店を持ってるから、そっちに移るか」
一もニもなく、マルゴは承知した。
その2日後、恐ろしい事件が起こった。 新しく代わった店で、マルゴが最後まで残って店じまいをしていると、顔見知りのシェフが、真っ青な顔をして駆け込んできた。
「マルゴ! 逃げろ!」
マルゴの大きな夢見るような眼が、かっと見開かれた。
「誰か追っかけてくるの?」
「そうだ!」
低い椅子を飛び越えて、シェフはマルゴの手を掴み、裏口にダッシュした。 走りながら、シェフのジャン・ジャックは切れ切れに告げた。
「昼間っから酔っ払った……貴族どもが……入ってきて……噂の美人を出せって」 二人は細い路地を回り、寺の境内に逃げ込んだ。 体をくの字に折り曲げて、ジャン・ジャックは荒い息をついた。「その連中の……親玉が……しつっこい奴で、どうしてもお前に会わせろって脅してきて、ジェラールさんが断ったら…刺し殺したんだ」
「殺した?」
マルゴは悲鳴に近い声を上げた。 信じられなかった。
「その男、小柄だった?」
ちょっと考えて、ジャン・ジャックはうなずいた。
「そう、小さくて、真っ赤な唇をしてた」
あいつだ! そうにちがいない! マルゴはよろめき、地面に座り込んでしまった。
「何てこと…… 私のせいで!」
「ちがうよ!」
ジャン・ジャックは憤然となった。
「あいつがイカレてるんだ。 とんでもないやつだ!」
マルゴの肩を叩きながら、彼は声をひそめた。
「ジェラールさんが倒れるのを見て、肝をつぶしたリュックが、お前の居場所をしゃべっちまったんだ。 こっちのレストランに代わったって。 オレは厨房で盗み聞きしてて、泡食って飛んできたんだよ」
「ありがとう……」
両手で顔を覆って、マルゴはおいおいと泣き出した。
「ジェラールさん! あんなに親切な、いい人を……!」
下宿はまだ知られてないはずだ。 一刻も早く帰って、荷物をまとめなければならなかった。 ジャン・ジャックが一緒に行ってやると申し出たが、マルゴは断った。 彼まで危険にさらすことはできなかった。
だが、下宿のある路地に入ったとたん、マルゴは背後に人の気配を感じた。 恐怖が冷たい手のように心臓を掴み、体を強張らせた。 できるだけ普通の足取りで歩いて、角を回ったとたん、マルゴは必死で走り出した。 すると、明らかに足音が追ってきた。 どんどん間が狭まってくる。 もうだめだ、と覚悟したとき、声が呼びかけた。
「マルゴ!」
知っている声だった。 マルゴの足が、ぴたりと止まった。 おそるおそる振り返ると、そこには見慣れた顔があった。
「フィリップ!」
急ぎ足で歩み寄ると、フィリップはマルゴを強く抱きしめた。
「マルゴ、マルゴ! どんなに心配したか!」
マルゴは大きく息をつき、フィリップの胸を離れた。
「だめよ、フィリップ。 私は罪人。 かかわるとろくなことにならないわ」
マルゴの縮れた髪に触れて、フィリップはあっさりと言った。
「国王なら心配いらないよ」
マルゴは耳を疑った。
「え?」
「エレがうまくやったんだ。 国王を説得して、おとがめなしにしてくれたんだよ。 それにもう4年近く前のことだから、王はすっかり忘れてるよ」
拍子抜けして、マルゴは近くの壁に掴まった。
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「でも、もうひとり怖い人がいるの」
マルゴは身震いした。
「私を追いかけていて、今日雇い主を殺しちゃったの」
「知ってる」
フィリップが沈痛な面持ちで言ったので、マルゴは飛び上がった。
「なぜ知ってるの!」
「現場にいたから」
マルゴの顔が石のようになった。
「なんですって……」
「聞いてくれ!」
あせって、フィリップはマルゴの腕を掴んだ。 マルゴは反射的に振り払った。
「お願いだよ。 わたしがやったわけじゃない。 とっさのことで、誰も止められなかったんだ」
「殺した人の名前を教えて」
フィリップの眼が泳いだ。
「それは……できない」
「かばうの?」
「勘弁してくれ」
フィリップは頭を下げた。
「犯人の名前は言えないが、君を助けることはできる。 だから来たんだ。 店に残って、リュックとかいう子に君の住まいを聞いて」
あのおしゃべり!・・・・マルゴは本当に危ないところだったことを知った。 フィリップは話しつづけていた。
「父が去年亡くなった。 もううるさくいう人間はいないから、わたしの……わたしたちの屋敷においで。 あそこなら安全だ。 さあ、行こう」
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