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黄金の日輪を越えて

第30章 幻の姿
9月の初め、マルゴはフィリップに連れられて、郊外にある蔵相コルベールの別荘を訪ねた。
その奥まった一室で、ある契約が取り交わされた。 コルベールが『私的に』資金を提供してマルゴに小間物屋を開かせる。 その代わり、レストランで起こった事件は不問にする。 それが秘密契約の内容だった。
「私だけ得をするのでは」
とマルゴが言いかけると、コルベールは手で制して、小声で言った。
「レストランの店主ジェラール・セクランの遺族には、営業権を保証し、改装費を貸し付けました」
抜かりないのだ・・・マルゴは少しほっとした。
フィリップの豪華な屋敷でぼんやり暮らすのは、マルゴの肌に合わなかった。 だから、中心街に店を持たせてもらったのは、正直とてもうれしかった。
ただ1つ気がかりなのは、あのチビ貴族と、王弟のことだ。 マルゴはエレとフィリップの二人に相談してみた。
「小柄で金髪。 わりといい顔立ち。 25か26歳ぐらいで、ドイツ訛りがある男ね」
エレは、調べてみると約束してくれた。 何しろ王に仕える貴族だけで千人近くいるので、すぐに見つけるのは困難なのだ。 王弟のほうは、フィリップが保証した。
「もう君には手を出さないよ」
「どうして言い切れるの?」
「見張り役が怖いから」
なにか納得のいかない答えだったが、フィリップは自信満々だった。
翌日さっそく、エレはマルゴに教えた。
「外人だった。 百人隊長のゴットワルト。 今はフランスにいないから、安心して」
こうして二人の親友のおかげで、マルゴは白昼堂々と出歩けるようになった。
まず最初に行きたかったのは、もちろん、新しい店だった。 前の持ち主から商品ごと譲り受けているそうで、すぐ開店できるという。 フィリップが馬車で送ってくれるというので、マルゴは喜んで出かけた。
屋敷町のすぐ近くにあるその店は、予想以上に綺麗で新しかった。 マルゴは子供のように、はじける笑顔で次々と品物を手にとり、値段を確かめたり、並べ方を工夫したりした。
「こんなすてきな店だったなんて…… 広いし、私にやっていけるかしら」
「もちろんやれるさ。なんなら、うちの社員に手伝わせてもいいよ」」
フィリップは父親から貿易会社を引き継いでいるのだった。「さっそく明日から店を開けるわ」
きちんと戸締まりをして道に出たマルゴは張り切って言った。 横にいたフィリップは、珍しくマルゴから注意をそらしていたが、それに気づいたマルゴが袖を引っ張ると、はっと目が覚めたように振り向いて、いきなりマルゴの手を掴んだ。
「おいで。 あの庭園を散歩していこう」
「え? いいけど、急に何?」
フィリップは答えずに、道を渡って速い足取りで歩いていった。 寺院付属の庭園は、きれいに木を刈り込み、ところどころに石像を置いて、街中にふさわしい高級感をかもし出していた。
フィリップがあまり速く歩くので、マルゴは素敵な景色をゆっくり見ることができず、小声で文句を言った。
「ねえ、フィリップ。 まるで追われてるみたいね」
とうとう庭園の端に来てしまった。 行き止まりだ。 マルゴは溜め息をついた。
「これが散歩なの? 足が痛くなっ……」
!!
声が途切れた。 体が動かない。 雷に打たれたように、マルゴは芝生の上で立ちすくんだ。
庭園の外れ、柵のすぐ内側に、一人の貴族が立っていた。 ピーコックブルーの生地に金糸で縫い取りした上着と、黄色の折り返し付きの派手な長靴は、彼以外の男が着たら、珍妙で見ていられなかったにちがいない。 しかし、その奇抜な衣装を、彼は見事に着こなしていた。 つやつやした金色の断髪と、薄化粧をほどこした顔で、彼は別人のような人形美男に変身していた。 それでもマルゴには一目で見分けられた。 ジュール…… ジュール・ダートルミー……!
ふるえる息を吸い込み、マルゴは一歩踏み出した。 それから糸が切れたように、ジュールめがけて走り出そうとした。 フィリップが力任せに引いたので、マルゴの体はがくんと急停止した。 そのままマルゴを引きずるようにして、フィリップは向きを変え、元来た道を引き返した。
小走りになりながら、マルゴは怒った。
「なぜ引っぱるの! なぜ挨拶させてくれないのよ!」
「挨拶だって? 君はあいつに飛びつこうとしたじゃないか!」
「いいじゃない。 幼なじみなんだから」
「何が幼なじみだ!」
フィリップは爆発した。
「あいつはもう、君の知ってるジュールじゃない。 見てわかっただろう? あんな格好してる奴は、他にいないぞ。 まるで絵の具をぶっかけた七面鳥じゃないか!」
「似合ってたわ!」
マルゴも負けずに言い返した。
「それに、何を着ようと中身が変わらなければ……」
「それが一番変わったんだよ!」
フィリップはわめいた。
「あいつは王弟の一番のお気に入りなんだ。 めちゃくちゃ金遣いが荒くて、遊び人で、《地獄の貴公子》と呼ばれてるんだぞ!
」 反射的に、マルゴは口走った。
「そんなの嘘よ! 私信じないわ!」
とたんにフィリップは真っ赤になった。
「知りもしないくせに、君はあいつを庇うのか!」
そして、乱暴に道を突っ切り、馬車にマルゴを押し入れ、御者を怒鳴りつけるようにして馬を出した。
窓から外を見たマルゴは、ジュールが道に出ているのに気がついた。 眼が合うと、彼は帽子を取って深々と頭を下げた。 マルゴは窓から乗り出して声をかけようとしたが、フィリップが肩を掴んだので、果たせなかった。 やがて馬車は庭園を過ぎ、ジュールの姿はどんどん小さくなって、ついに見えなくなった。
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