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黄金の日輪を越えて

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第31章 ライバル



 馬車の中で、マルゴは放心していた。
 ジュールは、生きていた! 少し(いや、はっきり言うと相当に)変わってはいたが、立っていたし、歩いていた。
 死んだのは『ヤミ詩人』なんだ、とマルゴはようやく思い当たった。 派手で品のない格好は世を忍ぶ仮の姿。 あの金キラキラの服に隠れて、ジュールは不正を告発し、少しでも世の中のゆがみを正そうとしていたのだ。 だがその隠れた姿が国王にばれ、許されなくなってしまった。 もう二度と『ヤミ詩人』が現れることはない…… 表が裏で、裏が表。 醜い悪魔が美しい天使。 悪魔が善で、天使が悪・・・・
 服装や化粧といった表面よりも、マルゴには気がかりなことがあった。 ジュールが元に戻っていることだ。 修道院にひっそりと暮らしていたときのように、ジュールは痛々しくやせていた。
「無理をして……」
 無意識に呟いた一言を、フィリップが聞きつけた。
「ちがうよ。 あいつはいつも遊び暮らしてるんだ」
 彼の言葉を聞き流して、マルゴは座席に座り直した。
「ねえ、ジュールは王弟のお気に入りだって言ってたわね」
「言ったよ」
「それなら、ジェラールさんが刺されたときも傍にいたの?」
 フィリップは、いささか残念そうに首を振った。
「いなかった。 いや、全然いなかったというわけじゃない。 それまではずっと一緒に行動していたんだが、あのレストランが見えてくると、不意に立ち止まった。
 誰かが、あそこにはムーアかエジプトの血が入った凄い美人がいると言った。 わたしは、行方知れずの君のことを考え、ぜひ行きたいと思った。 だがジュールは、女なんかに興味はない、と言うと、さっさと帰ってしまった。 あんまり急だったので、誰も引き止められなかった」
 そう話してから、フィリップは悔しそうに、
「ジュールがいれば、あんな騒ぎは起きなかったかもしれない」
と呟いた。
「あの男は何事にも冷淡だが、酒に強いし、腹が立つほど冷静で、周りを静める力があるからな」
 それを聞いてマルゴは、
「じゃ、《地獄の貴公子》なんかじゃないじゃないの」
と言った。
 フィリップは口をもぐもぐさせた後、
「たしかに噂ほどの悪人じゃない」
と認めた。
 頭をごしごし掻きながら、フィリップは尋ねた。
「どうしてそんなにあいつに興味を持つんだい? 前から不思議だったんだ。 あいつは確かに美男だが、君はそんなことで騒ぐ人じゃないのに。 第一、奴は、君が苦手なジルにそっくりじゃないか」
 マルゴは困って、それ以上ジュールのことを訊くのを断念した。
 ところが今度は、フィリップが止まらなくなった。 マルゴが黙り込んだのをいいことに、尋ねもしないことをべらべらとしゃべり始めた。
「言っておくけど、あいつにはかかわらないほうがいい。 王弟のお気に入りって言うのは、つまり、愛人ということなんだ。 奴は王弟と抱き合ってるんだ。 ベッドを共にしてるんだよ」
 マルゴは首を回し、穴があくほどフィリップを見つめた。
「それって、ジルが言ってた、男色?」
「宮廷じゃ遠まわしに《イタリア式恋愛》と言ってるが、そういうことだ。 あきれたもんだろ?」
 マルゴは納得がいかなかった。 ふつう貴族は庭園に一人では行かない。 恋人と散歩か、または逢引の待ち合わせに使うのだ。
「だって、さっき庭園にいたじゃない。 まさか王弟とデートじゃないでしょう? あんな場所で」
 フィリップはプッと吹き出した。
「恋人を待ってたと思うのか? まさか! あいつは男じゃないんだぜ!」
 マルゴは眼を見張った。 フィリップは調子に乗って、王弟の館での乱ちき騒ぎで、美しい伯爵と一度でいいから寝てみたいと願った女たちが、失望落胆させられたさまを、目に見えるように語ってきかせた。
 マルゴはフィリップをにらみ、
「あなたは片っ端から付き合ったんでしょう」
と冷たく言った。 そして、当てが外れてあわてているフィリップを残して、ちょうど家に帰り着いた馬車からさっさと降りてしまった。

 その夜、マルゴはベッドの中で、長い間眼を開けていた。 さまざまなジュールが、万華鏡のように脳裏を巡る。 清らかな顔、やつれた顔、恐ろしげな仮面をぴったりと被った顔、そして今日の、作り物のような顔……
「どんなジュールでもいい。 生きていてくれて、本当にうれしかった」
 闇に向かってささやくと、涙が一筋、耳に流れ落ちた。 フィリップが何を言おうと、マルゴは幸せだった。

 次の日から、マルゴは元気に働き始めた。 店番を雇い、流行を調べ、売れ筋をよく研究して、仕入れと接客に気を配った。 帳簿のつけ方は、フィリップの会社の会計係が教えてくれた。
 努力のかいあって、半年後には店はすっかり軌道に乗り、売り上げで楽に暮らせるようになった。 フィリップと同居しているから住宅費はかからない。 銀行預金が増えていくのを、マルゴは楽しみにしていた。
 故郷への仕送りは欠かさなかった。 だいぶ年老いた両親は、それでもタンタンをかわいがって育ててくれている。 イヴォンヌが手紙に細かく書いて消息を教えてくれるので、マルゴは心から感謝していた。
 フィリップは、何かというとマルゴを連れ出した。 これまで決まった恋人を持たず、陽気な女たらしとして知られていたフィリップが、毛色の変わった美女を連れ歩いているというので、ちょっとした噂になった。


 残念ながら、フィリップとジュールはライバルとして有名な存在らしく、二人の交際範囲はほとんど重ならなかった。
 しかしある日、社交上手で評判のレナール夫人のサロンに行ったとき、マルゴは部屋の片隅に、なつかしい人の姿を見つけた。
 フィリップがそばにくっついているので、マルゴはなかなかジュールの傍に行けなかった。 それで不本意ながら、ちょっとした手を使った。 フィリップはある程度飲むとすぐ眠くなる。 マルゴは彼に何杯かリキュールを飲ませて酔いつぶしてしまった。
 フィリップが衝立の陰で安らかに寝息を立てるのを見届けてから、マルゴは眼でジュールを探した。 彼は小さなバルコニーに出て、星空を見上げていた。 目立たないように、マルゴは彼の斜め後ろに立った。
「久しぶり」
 ジュールの肩が、かすかに持ち上がった。 顔がこちらを向いた。
「やあ」
 微笑んで、マルゴは手を差し出した。 ジュールはその手にそっとキスした。 昔、ナントの修道院でやったように。
 指をからませたまま、マルゴは相手をつくづくと眺めた。
「この前の服は高そうだったけど、今夜のあなたのほうが好きだわ」
 今ジュールがまとっているのは、紺色の、地味すぎるほど飾りのない服だった。 化粧も最小限しかしていない。 それでいて、ジュールは輝くほど美しかった。
 驚いたことに、マルゴがそう言ったとたん、ジュールはぱっと顔を赤らめた。
「わたしも気に入ってるんだ。 ナントで君が縫ってくれた上着に似てるから」
「まだ覚えてた?」
「もちろんだ」
 二人はまだ手をつないでいた。 傍に寄ると、ジュールはふんわりといい匂いがした。 エレと同じ山百合の匂い…… 以前の友情がすっかり戻ってきた気がして、マルゴは楽しくなって、バルコニーに足を踏み出し、空を見上げた。
「さっきは何を見ていたの?」
 ジュールは指差して教えた。
「あれ。 あそこの赤い星」
「ああ、火星ね」
 ジュールの空いている方の手が、マルゴの髪にやさしく触れた。
「そう。 軍神マルスの星だ。 今夜は一段と輝いているようだ」
 斜めに体をよじって見上げていたマルゴは、バランスを崩してよろめいた。 その体を、とっさにジュールが受け止めた。
 次の瞬間、ジュールの腕に力が入った。 固く抱きしめられて、マルゴは大きく目を見開いた。 その眼が、すぐ落ち着きを失った。 背中が小さく震え出した。 ジュールは彼女を求めていた。 マルゴを抱きたい、自分のものにしたいというしるしが、その体にはっきりと表れていた。
 フィリップの嘘つき!・・・・泣きそうになって顔を上げたマルゴは、背後にドタドタという足音を聞き、それから思い切り腕を引っ張られて、フィリップの胸に倒れこんだ。
「何してるんだ、この馬鹿!」
 背中にマルゴを庇って、フィリップは怒鳴った。 サロンがいっせいに静まり返り、みんながバルコニーの方を見た。
 注視の的になって身を縮めながらも、マルゴは今度ばかりはフィリップのお節介をありがたいと思った。
 女主人のレナール夫人が急いで近づいてきて、扇で軽くフィリップを叩いた。
「そんなにかっかしないで。 伯爵はレディがつまずいたのを助けただけよ」
 むきになって、フィリップは言い返した。
「すぐ手を離せばいいじゃないか。 なぜあんなに……」
 必死にマルゴは彼の袖を引き、小声でささやいた。
「もう帰りましょう。 疲れたわ」
 夫人に小さく一礼すると、マルゴはフィリップを抱き取るようにして、扉から押し出した。

 馬車に飛び乗ったフィリップは、噴火寸前だった。 胸で腕を組み、髭をふるわせながら、彼は向かいに座ったマルゴをにらんだ。
「わたしを酔いつぶして、あんな奴と話そうとして! だからああいうことになるんだ」
 マルゴは一言も言い返せずに、暗い外に目をやっていた。 純粋な友情だと思っていたのに甘かった。 ジュールは立派な『男性』なのだ。 もうなれなれしく傍に寄れないと気づいて、マルゴは涙が出そうになった。



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