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黄金の日輪を越えて

第 40章 授かり物
それから間もなく、パリに嫌気がさした国王は、各城を巡る移動宮廷を始めた。 マルゴも呼ばれた。 今度は外交官を務めるエレの補佐役という任務を与えられ、小さいが独立した部屋を貰った。
その宮廷に、エレが長男のアンリを連れて行くというので、マルゴも、もうじき十歳になるタンタンを呼ぶことにした。 貴族の出世は、誰が後ろ盾になるかで決まる。 ダンジャン侯爵がぜひにと言ってくれたので、タンタンは侯爵の小姓に入ることになった。
最近、マルゴは体の変調を感じるようになっていた。 それはまさに夢の前触れだった。
愛する人の子供が産める。 六人は欲しいと言った彼を、喜ばせることができる! マルゴはあまりの幸せに、酔ったようになっていた。
とても再会を待ってはいられなかった。 マルゴはエレに妊娠を打ち明け、こっそりとジュールに知らせてほしいと頼んだ。 エレは二つ返事で引き受けた。
翌日、マルゴはドアの外に足音を聞いた。 すぐに誰かわかって、胸をとどろかせながらドアに駆け寄った。
ところが、荒々しく開いたドアの向こうには、鞭を持ったジュールが立ちはだかっていた。 そして、美しい顔をゆがめて、声を張り上げた。
「この売女! 裏切り者の浮気女め! よくも間男してくれたな!」
マルゴは真っ青になって跳びすさった。 ジュールは入口で鞭を振るい、ドアや床に叩きつけて、凄い音を立てた。 それから部屋に入って、錠を下ろした。
マルゴは怯えきって、ベッドの後ろに逃げ込み、泣きじゃくっていた。 ジュールは鞭を投げ捨てて急いで近づくと、マルゴの手を握った。
「悪かった。 ちょっとやりすぎた。 だかもし、この……」
マルゴの腹部をやさしく撫で、
「子供がわたしの子だとわかったら、王弟が何をするか、考えただけでぞっとする」
マルゴはまだ動悸が収まらなかった。 ジュールはどこからか手品のように瓶を取り出し、グラスまで2個出してシャンパンを注いだ。
二人は静かにグラスを合わせた。 ほぼ同時に飲み干すと、二人は視線を交わした。 自然に顔が近づき、唇を求め合った。 やわらかなキスを終えた後、すくい取るようにマルゴを抱きしめながら、ジュールは二つのグラスを暖炉に投げつけて、粉々に砕いた。
「君が無事に、元気な子を産めるように!」
翌日、マルゴは食堂で、胸の痛む思いをした。 昨日の派手な芝居は想像以上に効果があったらしく、ジュールは何人もの貴族に当てこすりを受け、からかわれていた。 彼は柳に風と受け流していたが、マルゴは顔を上げていられなくて、食事をほんのわずか口にしただけで、逃げ出してしまった。
庭をさまよい歩いているうち、猛烈に腹がすいてきた。 ほとんど食べていないから当たり前なのだ。 このままでは空腹で眠れない。 マルゴは、目についたリンゴの木に近寄って、軽く飛び上がって下枝の実をもごうとした。
ふっと手が肩を押さえた。
「跳んじゃだめだ。 赤ん坊にさわる」
ジュールだった。 頭1つ分マルゴより背が高いジュールは、長い腕を伸ばして楽々とリンゴを取ってくれた。 少し照れくさくなって、マルゴは言い訳を始めた。
「本当におなかが空いて困るの。 双子かもしれないわね。 私このごろ黙示録の竜みたいに食べまくっているの」
黙示録の竜、と呟いて、ジュールはその姿を想像していたが、やがて吹き出してしまった。
「自分を竜に例える女なんて聞いたことがない」
マルゴもつられて微笑んだ。
「とても元気な竜なのよ。 朝起きたとき、気分が悪いこともないし」
そこでマルゴはジュールの手を取って、心から言った。
「この子は認知しないでね。 ただ……あなたに少しでも似ていたら、かわいがってくれる? せめて、人が周りにいないときは」
不意にジュールはマルゴの手を持ち上げ、夢中で頬ずりした。
「わたしが今どんなに幸福か、君にわかるだろうか。 子供が生まれて、ほんのわずかでも君に似ていたら、わたしはきっと、その子に溺れてしまうだろう。 今から心配だ。 ほんとに……心配で……」
声がうるんでいた。 泣いているのではないかと、ふとマルゴは思った。
身を切られる思いで、二人は左右に別れ、別々のドアから広間に入った。
すると、中は大変な騒ぎになっていた。 人々が2派に分かれて固まり、がやがやと声をあげている。 片方の中心は国王で、もう片方は王弟だった。
どちらも、抜き身を下げた若い貴族を懸命に説得していた。 それがフィリップとフランソワだと知って、マルゴはあっけに取られた。
少し離れたところで、ジュールの澄んだ声が聞こえた。
「いったい何の騒ぎですか?」
おしゃべりのシモンが、わくわくした調子で説明を始めた。
「由々しき事態ですよ。 こんな奇妙な決闘は古今ありませんな。 ダンジャン侯が広間に入ってくると、後ろからエラン侯が追いかけてきて、大声で怒鳴ったのです。 『侯爵! 逃げずに勝負しろ! わたしはたった今あなたの奥方を寝取ったんだぞ!』と」
周囲は笑いを噛み殺したが、ジュールは無表情を崩さず、
「それではダンジャン侯は二重に侮辱されたわけですね」
と言った。 確かにそう言われればそうなので、人々からお祭り気分は消えてしまった。 フィリップとフランソワは強ばった顔で睨み合っている。 人々の視線の先には、珍しく真っ赤に顔を染めたエレが、なすすべなく立っていた。
その場は一応、説得が効を奏して、二人は刀を収めた。 後日、密かに行なわれた決闘は、予想外の結果となった。 あたるところ敵なしのフランソワが負傷し、フィリップはかすり傷ひとつ負わなかったのだ。 結局両者とも一ヶ月ほどバスティーユに放りこまれて決着がついたが、人々が首をかしげる結末だった。
この決闘があったニ日後、宮廷が移動している最中に、山の中で、マルゴの馬車が何者かに襲撃された。 敵は正確な狙いで撃ってきたが、髪の毛一筋のところでマルゴは難を逃れた。
銃声を聞きつけたエレが、素早く自分の馬車を横付けしてマルゴ達を乗り込ませた。 エレは青ざめ、ひどく腹を立てていた。
「あの青二才! 身内だからって、フィリップ・ドルレアン(=王弟の名前)をここまで甘やかして!」
エレが遠慮会釈なく青二才扱いしているのは、もちろん国王だった。 マルゴはタンタンをしっかり引きよせて、エレに礼を言った。
揺れる馬車の中で二人をまとめてぎゅっと抱くと、エレはきっぱりと宣言した。
「誰がなんと言おうと、私はあんたたちを守る。 その点では、めずらしくフランソワも同意見なの。 あの《男好きのバカ》を放っておくなら、いつか大変なことが起きるから」
エレの不吉な予言通り、事件は次々と起こった。 次の目的地で、マルゴはエレの使いだという女に呼び出され、何気なく小間使いのアニェスを連れて出かけた。
もうじき廊下の曲がり角、という地点で、マルゴは偶然、バスティーユから釈放されたばかりのフランソワに出会った。 マルゴは立ち止まったが、アニェスはフランソワに気づかず、そのまま歩いていった。
フランソワはマルゴを認めると、額に皺を寄せて、持ち前の荒削りなバスの声で言った。
「女だけでここに来るなんて、もっての外だ。 ここは暗殺の名所なんだぞ」
マルゴの背筋に寒気が走った。 と同時に、アニェスの物凄い悲鳴が廊下に響き渡った。 とたんにフランソワは体を引きしめ、マルゴを庇ってじりじりと横の階段を上がった。
人違いをしたと悟った刺客たちが下から駈けあがってくる。 宮廷有数の剣の使い手であるフランソワは、鮮やかな手並みで二人を同時に相手にしながら、マルゴに叫んだ。
「逃げろ!」
哀れなアニェスに後ろ髪を引かれながら、マルゴは全速力で走った。 間もなく返り血を浴びたフランソワが追いついてきた。
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