目次

黄金の日輪を越えて

第43章 処刑
ジュールは裁判で有罪となった。 彼の家屋敷はすべて没収され、援助を受けていた兄弟たちは、いっせいに姿を見せなくなった。
何もかも失って、マルゴはひとりぼっちになった。 離婚すれば、フィリップは喜んで面倒をみてくれるだろうし、エレにも会える。 だが、マルゴは誰にも会わないまま、ふっと姿を消してしまった。
楽しみの少ない時代、処刑は人々の大きな楽しみだった。 しかも、今度の死刑囚は特別な大物なので、人々はその日を指折り数えて待っていた。
パリの町で、王弟たちの評判はひどく悪かった。 特にロメーヌ伯爵は、美しい悪魔として、恐れられ、嫌われ、そしてひそかにあこがれの的にもなっていた。
その美男子が目の前で火あぶりになるのだ。 当日は、処刑台の回りがごった返し、押しつぶされて怪我人が出る騒ぎになった。 若い娘たちの中には、囚人と知り合いでもないのに、処刑がまだ始まる前から泣いているものがいた。
物売りが賑やかに揚げパンを売り歩き、絵描きがキャンバスを並べてスケッチしようと身構えている。 子供を肩車している若い父親がいる。 みんな、囚人が連れ出されるのを、今か今かと待ちかまえていた。
群集から少し離れた菓子屋の前に、若い女が立っていた。 並みより高い身長で、地味な黒い服をまとっている。 頭から肩にかけてすっぽりショールを巻きつけていて、顔はよく見えなかった。
女は先ほどから身動きもしないで、じっと処刑台のある広場に目をすえていた。 菓子屋の中から、太って人のよさそうな女主人が出てきて、声をかけた。
「あんた、そんな体なのに火あぶりを見たいのかい?」
女はわずかに振り向き、かすれた声で言った。
「ええ。 踏み台を貸してもらえませんか?」」
女主人は苦い顔をした。
「おなかの大きいひとが、なんでそこまで」
女は静かに答えた。
「あの人から私が見えるように」
はっとして、女主人は相手をしげしげと見つめた。
「あんた、あの男の恋人?」
女は答えずに、歩き去ろうとした。 すると女主人は、袖を掴んで引き止めた。
「逃げなくてもいいよ。 誰にも言わないから。 かわいそうに、あんたもあの男の毒牙にかかったんだね」
女はうつむいて唇を噛んだ。 女主人は店員を手招きして命じた。
「この女の人を処刑台が見えるところまで連れていっておやり。 押されたりしないように、めんどう見るんだよ」
囚人は、頭に黒い袋をかぶせられ、二人の処刑人にはさまれて登場した。 脚は両方ともだらんとぶらさがり、まったく動いていない。 拷問で膝を砕かれたらしかった。
観衆はざわめいた。
「袋を取れ!」
大きな声で野次が飛んだ。 処刑人は顔を上げて、どすの利いた声でどなり返した。
「最後の情けだ。 これでも貴族なんだぞ!」
そして、薪をうず高く積んだ中に、ジュールの体を引いていき、柱に縛りつけた。 足腰が立たないので、ぐったりと座った形になって、薪に火がつくと、その姿はすぐに見えにくくなってしまった。
黒い服の女、マルゴは、店員に寄りかかって、じっとジュールに目をすえていた。
――ジュール、来たわ。 ここにいる。 最後まであなたのそばにいるから――
ものすごい煙と灰。 人肉が焼ける悪臭と、 白と黒のまじった煙が渦巻くなかに、赤い炎が竜の舌のようにうねる。 観衆は興奮でざわめいていたが、断末魔の苦しみを味わっているはずの囚人は、一声の悲鳴もあげなかった。
これが、マルゴの確かめたかったことだった。 昨日、最後の宝石を売り払って、マルゴは死刑執行人に金貨一袋とよく切れるナイフを渡した。 処刑の寸前に、夫を刺し殺してもらうために。
――あの人は死んだ。 もうこの世の苦しみを味わうことはないんだ――
煙は空高く上がっていく。 白い鳩が空を横切って飛ぶのが見えた。 それがジュールの魂に思えて、マルゴはずっと目で追った。
すべてが燃え尽きる前に、火刑は終わりになった。 見に来ている観衆にサービスするためだ。 人々は、まだくすぶっている処刑台にむらがり、燃え残りの服や、焦げたボタンを奪い合った。 さっそく売って、もうけようとする者もいた。
何もかも終わったのだった。 ゆっくり向きを変えようとして、マルゴはよろめいた。 若い店員のしっかりした腕が、彼女を抱き止めた。 奈落の底に引きずりこまれるように、マルゴは意識を失った。
鈍い痛みが波のように体の奥を通りぬけて、マルゴは重い瞼をあげた。 真っ白い天井が見えた。 壁には彫刻がほどこしてある。 窓から明るい光が差しこんでいた。
「ばか」
歯ぎしりのような声が降ってきたので、マルゴは斜め上を見た。 エレが、目を怒らせてのぞき込んでいた。
「絶対処刑場に来ると思ったから、見張っていてよかった」
「私にかまっちゃだめよ」
そう言ったとたん、強い陣痛が来た。 マルゴは思わず顔をしかめた。
「あんたはバカの中のバカ! フランソワがわめいてたよ。 あんたの十人や二十人、いくらでも面倒みてやるのにって」
ベッドの足元で何かがもぞもぞ動いたので、マルゴが首を起こすと、そこにいたのはタンタンだった。 少年は、ベッドを回ってきて、マルゴの頬をそっと撫でた。
「母様、だいじょうぶ?」
マルゴは弱く微笑んだが、そのとたん、呻き声が出た。
「産ま……れる……!」
エレは急いで、隣の部屋に待たせてあった産婆を呼びに行った。
タンタンのときと同じで、安産だった。 産湯をつかわせた後の赤ん坊を抱いて、エレはさっそく産婆とけんかを始めた。
「こんなに手足をぎゅうぎゅう縛ったら、血が通わなくなっちゃうじゃないの」
「これが上流の方たちの流行なんです」
「流行で荷物みたいにぐるぐる巻きされたら、赤ん坊はたまらないわ。 すぐ外して!」
むっつりしながら、産婆は赤ん坊のぷっくりした手足から、白い布をすべて取り去った。
ベッドで待ちかねているマルゴのもとへ、絹でくるんだ赤ん坊を抱いていきながら、エレは奇妙な表情をしていた。 うれしいような、困ったような、複雑な顔。
そのわけは、赤子を見たとたんにわかった。 思わず声をあげて、マルゴは小さいかたまりを胸に押しつけた。
「エレ、エレ! 見て。この子、ジュールそっくり!」
「生き写しだよね」
信じられないほどだった。 絹糸のような金の巻き毛、青玉の瞳、すぺすべの白い肌。
「生まれ変わりだわ……」
「男の子だしね」
胸をはだけて乳をふくませながら、マルゴは上を向いて目をつぶった。
「神さま…… これで私は生きていけます」
背景:Kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved