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黄金の日輪を越えて

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第45章  内戦




 なだらかな丘が長く稜線の尾を引いた裾野に、薄碧色の森が淡く広がる。 マルゴたちが暮らすサンティグレの村は、美しいところだった。
 この地に住み着いて、すでに2年と8ヶ月が過ぎた。 アルマンと名づけた赤ん坊は乳離れし、短い丈夫な脚で、修道院の庭をちょこちょこと歩き回っていた。
 かわいらしい、というよりも、すでに美しい子供だった。 幼児なのに、ときどき考えこむ表情をすると、はっとするような色気がある。 そのおかげで、尼僧たちに取り合いされるほどかわいがられていた。
 長男のタンタンは、13歳になった。 去年あたりから背がぐんぐん伸び、顔立ちが整って、ほとんど大人といってよかった。 エレがうらやましがった通り、タンタンは利発な少年だった。 もともと頭がいい上に、知識をさずけてくれる人がいて、能力を伸ばすことができたのだ。
 タンタンを導いてくれたのは、ジュールだった。 マルゴが宮廷に行った後、乳母と残されたタンタンを案じて、ジュールは時間の許す限り自宅へ戻って、タンタンの相手をしてやっていた。
 故郷のジロンで基礎をきちんと学んでいた少年は、ジュールが軽い気持ちで教えたギリシャ文字を、半時間で覚えてしまった。 それを見たジュールは本気になった。 タンタンにラテン語の手ほどきをし、工学の基礎を教え、イタリア語で簡単な会話ができるまでにした。
 ジュールが口止めしたので、マルゴはそのことを知らなかった。 彼が命を失って初めてタンタンに聞かされ、思わず泣き崩れた。
「伯爵はね、知識は力だって言ってた。 経験は大事だが、それだけでは自分の回りしか見えない。 本を読んで、人の知恵を借りて、大きく考えなさいって」
「それほどの人を、教会は殺してしまったんだわ」
 マルゴは悔しくて、その夜一晩泣き明かした。

 その事実を知ってからは、マルゴとタンタンは前よりいっそう気が合うようになった。 世間がジュールを背徳の魔王扱いしようと、自分たちは彼の本当の姿を知っている。 二人はジュールをしのび、彼のいない寂しさを、思い出話をすることで慰めあった。
 マルゴはサンティグレ尼僧院で、修道女見習いの名目で、雑用をして暮らしていた。 いわば修道院の家政婦だ。 賢いタンタンはここでも目をかけられ、週に一度訪れるポル司教に教わって、ラテン語に磨きをかけていた。
 女子修道院には担当の男子司教がいて、巡回している。 ここでは、それは若手のポル司教だった。 ポルはもと貴族で、フロンドの乱のとき、戦場のあまりの悲惨さに世をはかなんで出家した男だった。 性格はおだやかで涙もろく、まるで出世を望まないので、こんな田舎の司教でのんびりしている。 それなりに楽しい人生らしかった。
 マルゴが隠れ家に選んだトゥールーズ郊外は、しばらく平和が続いていた。 だが、故郷であるポワトー・シャラント地方には、不穏な空気がただよい始めていた。
 イギリスとの戦いに次いで、国王はオランダにまで軍を送り、そのため戦費はうなぎ上りとなった。 いくら金をつぎ込んでも足りない状況で、税金はどんどん高くなった。
 もう払えない・・・・それが一般の人々の本音だった。 暴動が起こりかけていた。

 蜂起の中心は、サンティグレよりずっと北の地域だったので、戦場になることはなかったが、それでも、王の軍隊は離れた村々にまで兵隊集めにやってきた。
 ポル司教が危険を知らせてくれたので、マルゴは内乱が始まる寸前にタンタンをエレの元に逃がすことができた。 若い男は、見つかると無理やり兵隊に取られるからだ。 
 これでひとまず身近な心配はなくなったものの、今度は育ての両親と、幼なじみのフィリップが気にかかった。 3人はまさに戦闘地域の真っ只中にいるのだから。 国王の軍隊は、旧教だった。 だから新教のユグノー教徒を迫害した。 今度の暴動は、新教対旧教の宗教戦争でもあった。 そしてジロンのサンマルタン夫妻はふたりとも敬虔なユグノーだ。 どんな目に遭わされるかわからないのだ。

 戦争のせいでまた税金が増え、生活はますます苦しくなっていた。 みんな食べるのに必死だ。 マルゴは修道院の裏手に畑を作った。 農作業は得意なので、毎日せっせと世話をして、人参や菜っ葉で少しでも食卓をにぎわすことができた。


 その秋の日、いつものように、マルゴは畑に出ていた。 しゃがんで草取りをしていると、不意に目の前に男の脚が立った。
 見上げたマルゴの瞳が、あっという間にうるんだ。
「タンタン!」
 二人は夢中で抱き合った。 嬉しさで、マルゴは息もできなかった。 また背が伸び、彫刻のように美しくなったタンタンは、マルゴにかがみこむようにして語りかけた。
「エレがヴェネツィアに行くんだ。 僕たちを連れていきたいって」
「僕たち?」
「そう。 母様とアルマンと僕」
 タンタンが期待したほどマルゴは喜ばず、むしろ顔をくもらせた。
「私は、行けない」
「どうして!」
「エレと、それにコンデ公に迷惑をかけるから」
 父親がおととし死んだので、フランソワが後を継いでコンデ公爵になっていた。 マルゴは息子の腕に手を置いて、静かに話し掛けた。
「私はロメーヌ伯爵夫人のままでいることを選んだ。 後悔はしていないわ。 でも私の称号は、貴族社会では呪いなの。
 あなたはサンマルタン。 アルマンも、生まれる前に父が死んだから、サンマルタンのまま。 だから二人には出世の道があるわ。 タンタン、あの子を連れていって。 エレには深くお礼を言っておいてね」
 こうしてマルゴは、最愛の子供たちを手放した。 いつかはそうなると覚悟していたが、アルマンはまだ5歳。 別れるのは身が切られるように辛かった。
 タンタンは、弟をしっかり抱きこんで、鹿毛の馬にまたがった。
「じゃ、母様」
「兄弟二人で支えあって生きてね。 手紙をちょうだいね。 健康に気をつけて」
「はい。 母様も元気で」
 夕暮れの道を馬が遠ざかっていくのを、マルゴは見えなくなるまで見つめていた。


 一度に心が虚ろになった。 畑仕事にも熱が入らない。 すっかり元気を失ったマルゴを心配して、ポルがある仕事を依頼してきた。
「捨て子なんです。 シャルレットの森に置き去りにされてたんですが、赤毛なので引き取り手がなくて」
 赤毛はフランスでは人気のない髪色だ。 差別されている子供が哀れになって、マルゴは子供を預かることに決めた。 女の子なのがうれしかった。 これまで男しか育てたことがない。 女の子なら、将来いい話し相手になるだろう。
 ポル司教は、その子にリュシエンヌと名づけていた。 生まれたてではなく、1年半ぐらい経っている。 何か事情のある子供らしかった。 マルゴはその子をリュシーと呼ぶことにして、さっそく自分の部屋に連れて行った。



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