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黄金の日輪を越えて

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第47章  新天地へ




 小さなボタンを押すと、金属のすれ合う音がして、パチンと蓋が開いた。 簡素な寝室でひとりになったとき、マルゴはよくこのロケットを開いて中の肖像画を眺めるのだった。
――ジュール…… あなたの絵は全部焼かれてしまった。 あなたをモデルにしたヴェルサイユの天井画は、塗りつぶされてしまったそうよ。 でもこの細密画は、あなたの面影をはっきりと残している。 優しさも、賢さも――
 パリのお土産にとフィリップからもらったロケットに入れられるように、マルゴは宮廷で、有名な画家に依頼して、ジュールの絵を描いてもらった。 その4センチ×2.5センチほどの楕円形の絵は、今となっては、大事な人の顔を映す唯一のよすがとなっていた。 軽い足音がしてドアが開き、赤毛の少女が駆け込んできた。
「母さん! 何見てるの?」
 マルゴはそっと手のひらを横に向けて見せてやった。
「さわっちゃ駄目よ。 母さんの宝物なんだから、汚れたら困るの」
 リュシーは感銘を受けた様子で、じっと小さな肖像画に見入った。
「このひと、すごくきれい」
「天使みたいだったのよ」
「ねえ、このひと、母さんの旦那さん?」
「ええ」
 答えたとたんに、涙が湧き出した。 目頭を押さえるマルゴを、リュシーは心配そうに覗き込んだ。
「なんで悲しいの?」
「死んでしまったから」
「そうなの……」
 そこでリュシーは気づいた。
「母さんの旦那さんなら、私の父さん?」
 涙をぬぐって、マルゴは微笑んだ。
「あなたが生まれる前に死んでるから」
「でも、父さんと思ってもいいじゃない!」
 リュシーは頑固に言い張った。
「ポル司教様が母さんを見つけてくれた。 だから母さんは父さんを見つけてくれるの。 そうでしょう?」
 子供の屁理屈に、マルゴは当惑した。 
「リュシー、それは……」
「決めた! そんなきれいなひとが父さんで、うれしい!」
 みんなに言いふらしそうなので、マルゴはあわてて口止めした。
「そう思ってもいいけど、誰にも言っちゃだめよ。 言ったら天国の父さんが怒って、リュシーを連れてっちゃうわよ」
 本気にしたリュシーは、あわててマルゴにしがみついた。
「言わないよ! ぜったい言わない!」

  太陽の位置はまだ高かったが、夕方になると風が涼しさを増して、秋の訪れを実感させた。 もうそろそろ野菜の植付けはできなくなる。 端三列に植えた菊がそろそろつぼみを開くので、町に売りに行こうとマルゴは決めた。
「これだけそろえば百フランにはなるわね」
 出来栄えに満足して、腰を伸ばしたとき、若い男が馬を飛ばしてやって来るのが見えた。 そのとき、なぜか嫌な予感がした。
 予感は不幸にも的中した。 早馬が持ってきたのは、信じられない内容の手紙だった。
 それはエレからのもので、ヴェネツィアの自宅から、マルゴのふたりの息子、タンタンとアルマンが消えたことを知らせてきていた。
『……たまたま見ていた人の話では、片目に眼帯をかけた黒人の男が道でアルマンをさらい、後から必死にタンタンが追いかけていったそうです。 それっきり、二人は帰ってきませんでした。 フランソワが一個小隊をくり出して探させたのですが、まだ手がかりは見つかりません。
 こんなことを知らせて、さぞ心配でしょう。 だからすぐ来て! もし身代金を要求されたら、私が払います。 きっと助かるはず。 お願い、マルゴ。 この手紙を届けた者が案内しますから。
貴方のエレ』


 マルゴは手紙を取り落とし、あえぎながら歩き出した。 タンタン!  アルマン!! 大切なあの子たち、ジュールのただ一人の跡継ぎが、もしこの世から消えてしまったら……
 私が悪いんだ、とマルゴは思った。 自分が一緒にヴェネツィアに行けば、こんな事態は防げたかもしれないのだ。
 探すんだ!・・・・頭の中で、誰とも知れぬ声が響いた。 マルゴはそれが、亡き夫の声に聞こえた。 そうだ、地の果てまでも探しに行こう。 私の大事な息子たちを!

 小さな娘がいるから、旅は危険な海路ではなく、馬車を乗り継いでスイス経由で行くことになった。 それでも安全とはいえない旅だ。 山賊、追いはぎ、兵隊崩れの夜盗もいる。 関所の番人さえ信用ならなかった。
 エレが派遣した道案内クレモンは、非常に優秀な男だった。 後で聞くと、フランソワの手勢で最も有能な男を派遣したのだそうだ。 彼は往路で様々な情報を仕入れていて、手回しよく替え馬を5箇所に準備し、宿に泊まるほかは夜を日に次いで馬車を走らせ続けた。
 そのおかげで、マルゴとリュシーは一週間でヴェネツィアにたどり着くことができた。 これは当時としては記録的な早さといえる。 クレモンの道案内でフランソワの屋敷にたどり着いたマルゴは、飛び出してきたエレと固く抱き合った。
 珍しく、エレは鼻まで赤くしていた。 毎日のように泣いていたらしい。 まったくエレらしくないことだった。
 急いで大戸から引き入れながら、エレは喉に詰まった声で言った。
「自分の子がさらわれた方が楽だった。 預かった責任があるのに、来たとたんにこんな……」
「あなたのせいじゃないわ」
 マルゴはきっぱりと言った。
「ふたりだけでよく知らない街に出たタンタンが悪いのよ。 あの子らしくない無用心さだわ。 それで、手がかりは?」
「ない」
 また目が赤くなってきた。 マルゴの方がしっかりしているぐらいで、エレは相当参っていた。
 それでも大事な友を気遣う理性は残っていた。 エレは召使に命じて、マルゴとリュシーをくつろげる部屋に案内させた。
「話は明日しよう。 こんな長旅は初めてだから、疲れたはず。 特にそのおチビさんは」
 リュシーにやさしく微笑みかけると、エレは気ぜわしく奥へ入っていった。 クレモンにいろいろ尋ねることがあったので。

 広くて美しい部屋に入っても、リュシーはいつものように騒がなかった。 やはり疲れがたまっているらしい。 ぼうっとした顔でベッドの天蓋をさわっていたが、マルゴが窓辺に行ってしばらく庭を眺め、それから振り返ると、ベッドの上に丸まってぐっすり寝込んでいた。
 そっと抱き上げてまっすぐに寝かせ、布団をかけてやった後、マルゴは再び窓辺に寄った。 屋敷は高台にあるので、夕闇に閉ざされた港が建物の間からわずかに見える。 もし……もし2人の息子が海賊にさらわれて、海に連れ出されてしまったら…… マルゴは胸が凍りつくのを覚え、思わず腕で体を抱いた。

 訪れがあったのは、その夜遅くだった。



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