趣味のいい中庭を、しっかり手を握り合って歩いていくうちに、グストまで緊張で手のひらに汗がにじんできた。 テラスにはトーガ風のゆったりした上着をまとった父と、レースのハンカチを手に持った母が立っている。 ふたりとも真面目な表情をしていたが、怒りはどこにも感じられなかった。
テラスに上ったリーザは、膝を折って正式に未来の義父母に挨拶した。 するとマルゴが静かに歩み寄って、リーザの手を取った。
はっとして顔を上げたリーザは、たちまち眼を真っ赤にした。 片手をグスト、もう片手をマルゴに握られているので、顔を拭くことができない。 大きな眼から溢れ出した涙を、懸命にまばたきして払いのけようとした。
その手にマルゴが持っていたハンカチをそっと押し込んだ。 ジュールはグストを見つめ、穏やかに尋ねた。
「言いたいことがあるんだろう? 早くしなさい」
グストは大きな手で顔をぬぐい、話し出そうとしたが、声が喉につかえて、妙な調子になってしまった。
「父さん、そして母様、わたしはこの人と結婚します。 どうか許してください」
ジュールは感慨深げにうなずいた。 口元がわずかにほころんだ。
「おまえがわたしの半分ぐらいの背丈で、うちの息子になったとき、何度か想像したよ。 この子がやがて大きくなって妻を迎えるとき、どんなだろうと。 こうやって改まって言われると、不思議な気持ちがするものだな。
結婚を許す。 おまえの選んだ人だ。 間違いはあるまい」
リーザの口が震え出した。 泣き崩れそうなので、グストが肩に腕を巻いて抱き止めた。
マルゴは微笑して、大きい息子を見上げた。
「おめでとう」
「ありがとう、母様」
この呼び方だけは変えられない。 子供時代の宮廷生活の、唯一といっていい名残だった。
若い二人が寄り添い、じっと顔を見つめ合ったまま家の中に入っていくのを、ジュールとマルゴは黙って見送った。
それからジュールは妻を振り返った。
「寂しくないか?」
「いいえ」
マルゴははっきり首を振った。 少し心の中が複雑な気分だったが、戦場に倒れている息子を夢に見て、夜中に飛び起きるよりずっといい。 結果としてグストをヴェネツィアに引き止めてくれたリーザに、マルゴは感謝したい気持ちだった。
その視線がふっと上に引き寄せられた。 つられてジュールも同じことをして、二人同時に笑いだしてしまった。 二階の子供部屋から3人娘が覗いている。 扉の隙間に順々に首だけ出して重なっている姿は、饅頭を3つ縦に並べたのとそっくりで、吹き出さずにはいられなかった。
両親に見つかったのに気付いて、饅頭はばらばらになり、足音を立てて階段を駆け下りてきた。 そして、口々に訴えた。
「ねえ、グストまで結婚しちゃうの?」
「アルマンドは行っちゃうし、なんかがっかり!」
エレーナとクラウディアは相変わらず母の両脇にくっついて、盛んに訴えた。 ジュールは、口には出さないが一番元気を無くしたルチアを、やさしく抱き寄せた。
「わかるよ。 アルマンドもグストも、やさしくていい兄だったからな。 だが物は考えようだ。 これでやっとおまえも本当の恋ができるじゃないか」
ルチアはぼうっと港の方を眺めた。 彼女にとって、グストは初恋の人だったし、アルマンドはあこがれだった。 どちらもすごく好きだったが、2人はルチアを本当の妹としか
見てくれなかった。
ふっと小さな溜め息が漏れた。
「ねえ、父さん?」
「なんだ?」
「私って魅力ないかしら」
ジュールは首を振った。
「あんなに取り巻きを引き連れて、何を言う。 フィリオとジャンカルロの親たちから、この前文句を言われたぞ。 仕事を放り出しておまえの後ばかりついて歩く、何とかしてくれと」
少し自信を取り戻して、ルチアは背筋を伸ばした。
「そろそろ一人に決めなくちゃね」
「もう決めてるくせに!」
エレーナとクラウディアが声を揃えて叫んだ。
アルマンドは一人になって、またあの運河のほとりを歩いていた。 掃除人たちが道を片づけている。 夜になればまた散らかり放題になるのだが。
思い切りはしゃいだ後の寂しさが、アルマンドの胸を塞いでいた。 大切なグストを戦場から呼び戻すことができたし、自分の将来も保証された。 すべてうまくいったのに、この虚しさは何だろう。
橋のたもとに寄りかかって、アルマンドは空を見上げた。 誰も知らない心の秘密を、天に向かって訴えるように。
アルマンド・レジオーニは、14歳の夏、ある出来事が元で恋が大嫌いになっていた。
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