クリスティーナはアルマンドの言葉に希望のかけらを見つけた。 嫌いじゃない、むしろ他の押し付けがましい娘たちより好きだ、と、彼は言ってくれたのだ。 心は別の女のものでもいい。 私は多くを望まない。 クリスティーナは、きちんと両手を重ねて膝に置いた。 そして、謙虚に答えた。
「どんなきっかけにしろ、あなたはきちんと私に申し込んでくれました。 あなたの真面目さに、初め疑いを抱いていたことをお詫びします。 いい妻になるよう努力します」
不意に風が起こって、アルマンドが足元にひざまずいたので、クリスティーナは思わず身をすくめてしまった。
手探りで彼女の手を求めると、アルマンドは火のような息でささやいた。
「僕は苦労知らずだと父は言います。 それは本当です。 でも、それだけひねくれていないとも言えます。
舟であなたと話したとき、楽しかった。 後で何度も思い返して、また会いたいと願いました。 普通のお嬢さんより遊び女のほうが、どうして教養があって話が合うんだろうと、苛立つ思いでした。
でも、あれはあなただった。 予言は当たりました。 僕は知らずに、一番欲しい人に手を差し出していたんです。
僕は今、こんなに幸せです。 あなたにも幸せになってほしい。 だから努力するのは僕のほうです」
クリスティーナの全身が震えた。 これは夢だろうか、と本気で考えた。 だが、すぐに考え直した。 こんな夢以上の夢は、決して自分では見ることはできないだろう。
きっとアルマンドは聖人のような性格なんだ、とクリスティーナは思うことにした。 兄のために家督を譲り、自分をわざわざ妻に選んだ人だ。 きっと自己犠牲が好きなんだと。
そこでクリスティーナは、おそるおそる片手を伸ばして、ずっと触れたかったものを指に取った。 それは、波打つアルマンドの金髪だった。
アルマンドは目を閉じて、髪を撫でる手に頬ずりした。 そして腕を広げると、クリスティーナを傷ついた白鳥のように抱き取り、ベッドに座って、自分の膝に乗せた。
明け方の光が射しこんでくる頃になっても、ふたりは腕を巻きつけあって、心地よいまどろみにひたっていた。 鍛えたアルマンドの体は存外やわらかく、吸いつくようにクリスティーナを包んだ。
彼女の顎の先にそっとキスして、アルマンドは気持ちよさそうにぐんと伸びをした。
「起きたくないなあ。 昼までこうしていたら、お義父さんは怒るかな」
アルマンドがジュゼッペを義父と呼んだのは、これが初めてだった。 クリスティーナは、愛しくてたまらない目で、婚約者を見つめた。
「ここにいて。 あなたの好きなだけ」
「ほんとにいるよ」
そうあっさり言うと、アルマンドはクリスティーナの腕に顔を伏せて瞼を閉じた。 間もなく小さな寝息が聞こえ出した。
半時間ほどして、着替えを手伝うために小間使いがドアを開いた。 何気なく入ってこようとした彼女は、よりそって眠っている二人を見て、あわてて足を止めたが、上半身が前にのめって、音を立てて大理石の床に座り込んでしまった。
その音で目をさましたアルマンドは、眩しそうに長い睫毛を上げて、ぼうっと小間使いをながめた。
「ええと、君、誰だっけ?」
「あ、あ、あ、あの、マッダレーナです……」
「マッダレーナ、よろしく。 もう少し寝かせておいてくれ。 ああ、しばらく来なくてもいいよ。 僕が彼女の着替えを手伝うからね」
マッダレーナ・マッジョーリはその場で石になった。
「あ、あ、あの…アルマンド様が……?!」
「うちでよくやってるから。 エレーナなんて、ルチアより僕の方が着替えさせるのうまいって言うよ。 じゃ、おやすみ」
あくびを1つすると、アルマンドは寝返りを打って動かなくなった。
頭が泡になったような、なんともいえない気持ちで、マッダレーナは部屋を出た。 そして、廊下を歩きながら考えた。
(ティーナお嬢様は起きなかった。 あんなに敏感な方が、まるで赤子のように安らかに眠っていなさった。 アルマンド様はすごい。 もしかすると魔法使いかもしれない!)
マッダレーナは告げ口屋ではなかったが、これは話さずにはいられなかった。 スカートをたくし上げて長い階段を駆け上がると、マッダレーナはジュゼッペの部屋めがけて一目散に走った。
ジュゼッペは、難しい顔をして部屋を歩きまわっていた。 昨夜の晩餐から気になってたまらなかった彼は、こっそり下男をアルマンドの部屋に行かせて、また姿が消えていることを知り、不安でじっとしていられなかったのだ。
そこへ息を切らせてマッダレーナが飛び込んできたから、ジュゼッベは逆上寸前になった。
「なんだ! どうした! クリスティーナに、わしのかわいいティーナに何かあったのか!」
「はい! いいえ!」
「どっちだ!!」
「あのつまり」
マッダレーナは懸命に息を整えた。
「おふたりはその……もう同じベッドで」
頭の上に振り上げていたジュゼッペの腕が、ゆっくりと下がってきた。
「なに?」
「ティーナ様はアルマンド様の腕で、幸せそうに眠っておられました。 アルマンド様は私に、自分がティーナ様の世話をするから来なくていいと」
ジュゼッペは両手を堅く握り、窓に向かった。 きちんと整えられた白髪まじりの髭に、やがて2筋の涙が吸い込まれていった。
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