表紙

68 2人の夜


 クリスティーナはアルマンドの言葉に希望のかけらを見つけた。 嫌いじゃない、むしろ他の押し付けがましい娘たちより好きだ、と、彼は言ってくれたのだ。 心は別の女のものでもいい。 私は多くを望まない。 クリスティーナは、きちんと両手を重ねて膝に置いた。 そして、謙虚に答えた。
「どんなきっかけにしろ、あなたはきちんと私に申し込んでくれました。 あなたの真面目さに、初め疑いを抱いていたことをお詫びします。 いい妻になるよう努力します」
  不意に風が起こって、アルマンドが足元にひざまずいたので、クリスティーナは思わず身をすくめてしまった。
  手探りで彼女の手を求めると、アルマンドは火のような息でささやいた。
「僕は苦労知らずだと父は言います。 それは本当です。 でも、それだけひねくれていないとも言えます。
  舟であなたと話したとき、楽しかった。 後で何度も思い返して、また会いたいと願いました。 普通のお嬢さんより遊び女のほうが、どうして教養があって話が合うんだろうと、苛立つ思いでした。
  でも、あれはあなただった。 予言は当たりました。 僕は知らずに、一番欲しい人に手を差し出していたんです。
  僕は今、こんなに幸せです。 あなたにも幸せになってほしい。 だから努力するのは僕のほうです」
  クリスティーナの全身が震えた。 これは夢だろうか、と本気で考えた。 だが、すぐに考え直した。 こんな夢以上の夢は、決して自分では見ることはできないだろう。
  きっとアルマンドは聖人のような性格なんだ、とクリスティーナは思うことにした。 兄のために家督を譲り、自分をわざわざ妻に選んだ人だ。 きっと自己犠牲が好きなんだと。
  そこでクリスティーナは、おそるおそる片手を伸ばして、ずっと触れたかったものを指に取った。 それは、波打つアルマンドの金髪だった。
  アルマンドは目を閉じて、髪を撫でる手に頬ずりした。 そして腕を広げると、クリスティーナを傷ついた白鳥のように抱き取り、ベッドに座って、自分の膝に乗せた。


  明け方の光が射しこんでくる頃になっても、ふたりは腕を巻きつけあって、心地よいまどろみにひたっていた。 鍛えたアルマンドの体は存外やわらかく、吸いつくようにクリスティーナを包んだ。
  彼女の顎の先にそっとキスして、アルマンドは気持ちよさそうにぐんと伸びをした。
「起きたくないなあ。 昼までこうしていたら、お義父さんは怒るかな」
  アルマンドがジュゼッペを義父と呼んだのは、これが初めてだった。 クリスティーナは、愛しくてたまらない目で、婚約者を見つめた。
「ここにいて。 あなたの好きなだけ」
「ほんとにいるよ」
  そうあっさり言うと、アルマンドはクリスティーナの腕に顔を伏せて瞼を閉じた。 間もなく小さな寝息が聞こえ出した。

  半時間ほどして、着替えを手伝うために小間使いがドアを開いた。 何気なく入ってこようとした彼女は、よりそって眠っている二人を見て、あわてて足を止めたが、上半身が前にのめって、音を立てて大理石の床に座り込んでしまった。
  その音で目をさましたアルマンドは、眩しそうに長い睫毛を上げて、ぼうっと小間使いをながめた。
「ええと、君、誰だっけ?」
「あ、あ、あ、あの、マッダレーナです……」
「マッダレーナ、よろしく。 もう少し寝かせておいてくれ。 ああ、しばらく来なくてもいいよ。 僕が彼女の着替えを手伝うからね」
  マッダレーナ・マッジョーリはその場で石になった。
「あ、あ、あの…アルマンド様が……?!」
「うちでよくやってるから。 エレーナなんて、ルチアより僕の方が着替えさせるのうまいって言うよ。 じゃ、おやすみ」
  あくびを1つすると、アルマンドは寝返りを打って動かなくなった。
  頭が泡になったような、なんともいえない気持ちで、マッダレーナは部屋を出た。 そして、廊下を歩きながら考えた。
(ティーナお嬢様は起きなかった。 あんなに敏感な方が、まるで赤子のように安らかに眠っていなさった。 アルマンド様はすごい。 もしかすると魔法使いかもしれない!)

  マッダレーナは告げ口屋ではなかったが、これは話さずにはいられなかった。 スカートをたくし上げて長い階段を駆け上がると、マッダレーナはジュゼッペの部屋めがけて一目散に走った。
  ジュゼッペは、難しい顔をして部屋を歩きまわっていた。 昨夜の晩餐から気になってたまらなかった彼は、こっそり下男をアルマンドの部屋に行かせて、また姿が消えていることを知り、不安でじっとしていられなかったのだ。
  そこへ息を切らせてマッダレーナが飛び込んできたから、ジュゼッベは逆上寸前になった。
「なんだ! どうした! クリスティーナに、わしのかわいいティーナに何かあったのか!」
「はい! いいえ!」
「どっちだ!!」
「あのつまり」
  マッダレーナは懸命に息を整えた。
「おふたりはその……もう同じベッドで」
  頭の上に振り上げていたジュゼッペの腕が、ゆっくりと下がってきた。
「なに?」
「ティーナ様はアルマンド様の腕で、幸せそうに眠っておられました。 アルマンド様は私に、自分がティーナ様の世話をするから来なくていいと」
  ジュゼッペは両手を堅く握り、窓に向かった。 きちんと整えられた白髪まじりの髭に、やがて2筋の涙が吸い込まれていった。








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